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夢と文芸
ゆめとぶんげい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆14 夢」 作品社
1984(昭和59)年1月25日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2013-01-13 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 是は信州北部の山村を見てあるいた友人の手帖に、書留めてあった話である。五月代掻き馬を里の方に貸して居る家で、急にその馬が病気になったという沙汰が来たので、親爺さんが出掛けて行った晩、女房が夢を見たそうである。常日頃可愛がって育てて居た馬だから、そういうことがあったのだろうと謂って居る。これはえらい病気でとても助かるまい。売ってしまおうとうちのとっ様がいうと、馬はむっくりと起き上って、もう斯んなに脚が立つから、どうか売らずに置いてくれと、拝むように頼んで居る夢であった。いやな夢を見たものだと思って、子どもたちにもその話をして居るところへ、やがてとっ様が戻って来て、しかたが無いで馬は売ってしまったと報告した。それを聴いて火ジロのはたで、其日は一日泣いて居たと謂って居る。
 鳥獣が物を言ったという夢は、自分などには見た記憶がもう残って居ないが、元来夢というものがこの話のように、後に奇妙に思い当ることでも無いと、忘れてしまうのが普通だから何とも言えない。以前は田舎では夢の話をする人が、今よりも多かったようである。特に心の動揺した場合で無くとも、何かやや変った夢を見ると、其印象のまだ鮮かなうちに、よく誰かに聴かせて置こうとするのである。自分の母などもたしかにその古風な一人であった。斯うすれば事は現実化するから子供にも記憶せられる。そうして其中には、毎度動物の人語した夢があったのである。
 この種我々の内部の慣習は、殊に消えやすく改まりやすく、又その崩壊を防止する手段が無い。第一に存在を確めることが簡単でない上に、仮に是から実験をして見ようとしても、既に斯ういう話をしてしまった後では、その新たな影響も割引して見なければならぬ。つまりは我影と同じで、捉えようとすればもう元の姿では無くなってしまうのである。所謂フォクロアの無意識なる伝承に拠って、ただ辛うじて曾て有ったものを、尋ね究めて行くことの出来る問題は、必ずしも夢の場合だけではないのだが、此方面では分けても今までの無関心がひどかった。従って又微々たる村の女性の一言一行までが、思いがけぬ大きな暗示にもなるのである。



 少なくとも二つの忘れられかけて居た精神生活の変遷が、ここに幽かなる銀色の筋を引いて、遠い昔の世まで我々を回顧せしめる。其一つは夢を重んずる気風である。孔子が周公を夢に見なくなったことを、心の衰えとして悲しまれたように、夢が何等かの隠れたる原因無しに、起るべき人生の現象でないことを、最も痛切に古人は認めて居た。そうして今とても之を疑い得る者は無いのである。ただ其解釈が国により時代により、又経験の狭さ広さによって、群毎に甚だしく区々であっただけである。我々の親たちは霊の自由を信じて、身がらが無為の境に休息して居る間に、心は外に出て色々の見聞をして来るものと思い、又未知の世界からの音信に接すること…

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