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洗いづくりの世界
あらいづくりのせかい
作品ID54943
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-10-22 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 これから当分はさかなの洗いづくりの季節である。洗いにもいろいろあるが、一番美味いのは鮎の洗いである。鮎の五、六寸ぐらいの、もちろん獲りたてのものか、または生かしてあるのでなければならないが、これを三枚におろし、片身を斜めに五、六枚につくり、蓼酢、わさびなどを調味に添え、肉のいかったのを食う。
 鮎特有の澄んで、うるみのある匂いにからんで、一種の天才そのもののような肉の味わいが感覚される。東京にいて考えると、たいそうぜいたくなようであるが、鮎の獲れるところでは、別段のことでもないのである。現地で、しかも、食膳のあたりに山嵐の気でも迫るようであれば、いよいよもって得たり賢しである。この鮎を洗いにして食べる法は、従来の背ごしづくり以外には、あまり一般に行きわたっていないようであるが、味覚の検討、次第にやかましさを加え、交通の利便いよいよ適するに従って、必ずや相当のひろがりをもつに至るだろう。
 山川のさかなでも、他に洗いにして美味いものにいわながある。いわなという奴は、深い山から絞り出される雪解けの冷たい水に育つ。大きなのは一尺五、六寸もあるが、八、九寸ぐらいのものを洗いづくりにしたその味わいといったら、まことに一種容易ならぬものがある。
 鮎の肉とはちがって、これはもちもちとした鈍重な舌ざわりで、しかも、その中に言いようもなく淡泊で、調子の高いものが含まれている。薄紅を誘って、ほのぼのとした白さをもち、大半透明なところで打ち止めている。その肉の色を見ただけでも、食味の機能はおのずから動き出ようとする。しかし、これも都会にいては話に聞くだけのもので、どうするわけにも行かぬが、暑を山中に避けて、もし、いわなが手に入った場合、これを試みないという法はない。
 海の魚では、この五、六月を節として、かれい類が洗いづくりに向いている。がんぞうかれいは美味いが品が少なく、東京でもよほどの食道楽家でないかぎり、これをはっきり承知している者がない。星がれいの洗いづくりも美味い。これは一般向きには、かれい類中の王者として扱われているようであるが、幸い品も豊富で、東京の一流どころの料亭十軒ばかりが使うだけは、毎朝の魚河岸に、その生彩を点じている。
 まこがれいもちょっと食える。石がれいに至ると一段と味が落ち、その上、一種のくせもあるので、全然文句なしというわけにはいかない。
 ひらめの洗いづくりもやられないことはないが、東京のひらめは大味で、且つ平凡だ。
 すずきの洗いづくりは、一般に三百匁ぐらいのものが一番美味いようである。痩せたのと丸々太ったのとあるが、必ず後者を選ぶべきだ。東京の魚河岸には毎朝まだいを塩水に泳がせて、大いにその溌剌たる姿を見せている。百匁以上一貫五百匁ぐらいまでのものだ。従ってたいの洗いづくりは、もっとも自由にできる。だがこれは素敵だ――と叫ぶまでに美味しくは…

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