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田螺
たにし
作品ID54952
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-10-11 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 このごろ田の中で、からからからからと歯切れよく鳴く声が、ときに盛んに、ときに烈しく聞える。ある者はたにしだと言って、たにしの声を知ることに鼻うごめかし通がる。なに、あれは蛙だと、うそぶく。この争いは毎年毎年その季節になると、毎日のように誰かがやっている。嘘と思うなら壺の中にたにしを入れ室内に置いて見よと言うが、さて、それをわざわざ試みるほどの物好きもない。しかし、蕪村の句と伝えるものに、こんなのがある。
よく聴けば桶に音を鳴く田螺哉
 して見ると、蕪村は煮られる前の桶の中のたにしの声に聞き入ったものか、ことさらに桶に入れて聴いたものか。とは言ってみても、遂にたにしの声か、蛙の声かは謎として、いつも都人士に葬られてしまうのが常である。
 しかし、たにしも鳴く、蛙も鳴くでよかろうと思うのである。それよりも、たにしという奴はなかなかバカにならぬ美味の所有者であることだ。
 田の中にざらにたくさんいるのを知るところから、誰しもが先入主的に稀に見る美食として重きをおかない習慣をつくる。食通は言い合わしたようにこれをよろこばないものはない。たにしがひょこっと料理の突き出しにでも出ると、吾人はなにはともかく、親しみを感じる。にこっとせざるを得ない。生薑をたくさん刻み込んで煮つけたのは通常どこでもやることだが、どこで食っても大概食えるものである。出雲の地方では、これに酒粕を入れて煮る。これは大分料理として発明されたもので、たしかに合理的でもあり、すこぶる上々に価する。
 次に味噌汁がある。たにしの味噌汁、これも理屈は合う。その次に木の芽和えがある。白味噌に木の芽を入れ、すり合わしたものに、たにしを和える。これも関西方面では日常茶飯として行われる。いかの木の芽和えなどに比して一段としゃれた美食である。この方が玄人食いだと言えるであろう。これをまた料理屋風に美化したのが串ざしの田楽だ。小さなつぶつぶを細い竹串に刺して、それに木の芽味噌、またはふつうの味噌をつけて、ちょっと火に掛けて焼く。体裁がよいので、ご婦人方によろこばれる。実際、酒の肴などにもこれはよい。この小さな串刺しはオードブルとし、他と盛り合わせても成功疑いなきものである。
 それからまた薬食いにもなるようだ。たにしを毎日食っていると、なんだか体の具合がよい。これは私だけかも知れないが……。
 妙な話だが、私は七歳のとき、腸カタルで三人の医者に見離された際(その時分から私は食道楽気があったものか、今や命数は時間の問題となっているにもかかわらず)、台所でたにしを煮る香りを嗅ぎ、たにしを食いたいと駄々をこね出した。生さぬ仲の父や母をはじめみなの者は異口同音に、どうしましょうと言うわけで、不消化と言われるたにしを、いろいろとなだめすかして私に食べさせようとしなかった。しかし、医者は、どうせ数刻の後にはない命である、死に臨ん…

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