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若鮎の気品を食う
わかあゆのきひんをくう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-10-28 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 ぜいたくにと、ひと口に言っても、上には上、下には下の段々がある。若鮎を賞味できる人というのは上の上に属する。丹波の秀山、和知川などの若鮎と来てはたまらない。
 第一姿のよさに魅せられる。すばらしい香気に鼻がうごめく。呑口は一杯やらずには納まらない。頭から尾先まで二寸から二寸五分というくらいの大きさが若鮎の初物で、その小味はたとえようもない。若鮎には気品の高さというものがある。その気品の高さは出盛り七、八寸――一人前の鮎に較べて問題でないまでに調子の高さがある。口ぜいたくを極めた後に初めてわかる味である。
 金串の極小に刺して、塩焼きにするのはふつうのことで、これを生のまま赤出しに入れて、若鮎の味噌汁をつくる。温室の蓼を添えてもよし、皮山椒をひと粒入れるもよい。
 鮎は頭から尾先まで余さず、ひと口かふた口に食う。鮎のわたの苦味は、また格別の風韻が口に美しく残る。流れのにぶい川の鮎は、肉がでぶでぶしていて不味い。川瀬のはげしい水の美しいところにいるものでなくては、ほんとうの鮎とは言えない。東京近くでは若鮎ならば酒匂川の下流が割合によい。多摩、厚木などのものは、私どもの口に合わない。
 若鮎も三寸五分、四寸となると、いよいようれしい姿になって、ひと目見ただけで、矢も楯もたまらず食指は動く。しかし、川の水を離れて十時間以内でなくては、その価値はない。それも充分にいたまぬ手当をしてのことである。十時間以上も経てば、佃煮にでもするほか仕様はあるまい。川を離れて三、四時間以内で食いたいものである。
 四寸ぐらいの若鮎を三枚におろし、洗いづくりにして、わさびで、あるいは蓼で舌鼓を打つなどは、時節柄、あまり最高を狙う美食道楽に過ぎるものだ。鮎は同時に同所で釣り上げたものでも、大小が混ざっている。大は発育良好のもの、小は発育不良のものと見てよい。もとより発育良好をよしとする。
 料理法に魚田などと言って、味噌をつけて焼くのがある。田舎で有合わせの味噌をつけて焼くのは、田舎らしい風情があってうれしいが、料理屋が気取って調味料で味をつけた味噌などを、お体裁本位につけて出すのは面白くない。味噌にかつおぶしや味の素で味をつけるなどは愚の骨頂である。鮎は鮎の味生一本を賞味するのでなければもったいない。さればこそ、川を離れて間のない新鮮なのが欲しいわけとなる。若鮎とて、あり余るほどあれば、煮ても揚げても別であるが、少しばかりだとすれば煮るのは惜しい。油で揚げるのも鮎の特徴の大半を殺してしまって、甚だ忍びない。また、頭や腸を除いて若鮎を食うような人は、鮎でなくてもよいだろうから、牛肉とでも取り換えてもらうがよい。
(昭和十三年)



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