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猪の味
いのししのあじ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-11-09 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 猪の美味さを初めてはっきり味わい知ったのは、私が十ぐらいの時のことであった。当時、私は京都に住んでいたが、京都堀川の中立売に代々野獣を商っている老舗があって、私はその店へよく猪の肉を買いにやらされた。
 私の家は貧乏であったから、猪の肉を買うと言っても、ごくわずかな買い方をしていた。まあ五銭ぐらい持って買いに行くのが常であった。もっとも、当時は牛肉ならば鹿の子(東京でいう霜降りロースに当る)が三銭位で買えた時代であるから、五銭出すというのは、猪の肉だけに奮発したわけなのである。
 だが、それにしても猪の肉をわずか五銭ばかり買いに行くというのは、豪勢な話ではない。ただ肉を食いたいというだけなら、その金で牛肉がもっと買えるのだから、そうしたらよさそうなものだが、牛肉の時には三銭買い、五銭持った時には猪を買いにやらされたところをみると、私の養父母も、どうやら美食を愛した方だったのだろうと、今にして思うのである。
 西も東も分らぬ子ども時代から、食いものだけには異常な関心を持っていた私は、この使いとなると、非常に心が勇み立ったのを憶えている。ピカピカ光る五銭玉を握って肉屋の店先へ立ち、猪の肉を切ってくれる親爺の手許をじっと見つめながら、今日はどこの肉をくれるだろう、股ったまのところかな、それとも腹のほうかな。五銭ばかり買うのだから、どうせ上等のところはくれまいなどと、ひがみ心まで起こしながら、いろいろ空想していたことを、今でもきのうのことのように覚えている。
 そうしたある日のことだった。いつものように店先に立って見ていると、親爺が二寸角ぐらいの棒状をなした肉を取り出して来て、それを一分ぐらいの厚さに切り出した。四角い糸巻型に肉が切られて行く。その四角のうち半分ぐらい、すなわち、上部一寸ぐらいが真白な脂身で、実にみごとな肉であった。十ぐらいの時分であったが、見た時にこれは美味いに違いないと心が躍った。脂身が厚く、しっかりしている。肩の肉か、股の肉か、その時は分らなかったが、今考えてみれば、おそらく肩の肉、すなわち、豚肉で言う肩ロースであったと思う。
 その代り、親爺はそれを十切れぐらいしかくれなかった。子ども心にも非常に貴重なもののようにそれを抱えて、楽しみにして帰って来た。うちの者も、その肉の美しさを見て非常によろこんでいた。早速煮て食ってみると、果せるかな、美味い。肉の美しさを見た時の気持の動きも手伝ったことだろうと思うが、食道楽七十年を回顧して、後にも先にも、猪の肉をこれほど美味いと思って食ったことはない。私は未だにそれを忘れない。私が食物の美味さということを初めて自覚したのは、実にこの時であった。
 この肉屋は、もちろんその後、代が変っているが、今も繁昌している。
 想い起こせば、また、こんな話もある。
 ここには猪の肉だけでなく、熊や鹿の肉もあった。当時…

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