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西園寺公の食道楽
さいおんじこうのしょくどうらく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-12-20 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 五月の大事変(注・昭和七年五月十五日、陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺した、世に言う五・一五事件)直後、緊張しきっている帝都へ、興津の坐漁荘を出て乗り込まれた西園寺公の駿河台における警戒裡の日常嗜好の一端が、去る五月二十八日の「東京朝日新聞」紙上に、如上のような三段抜きの見出しの下に、
「園公滞京中、駿河台付近の人々の不思議がったのは、園公邸から時折田舎めいた煙の立ち上る事で、これは老公が松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで、また魚屋などへの注文もたひの目玉だけとか、たひのわき腹一寸四方だけとか、おかぶ三銭とかいふ鳥のすり餌のやうな微妙な御注文なので、“光栄”とは感じながらも、いささか恐れいってゐたのは園公の駿河台経済戦線に及ぼした珍影響であった」
 と、出ている。
 この記事に拠ると、西園寺公は、かねて噂に聞いているように、たべものにはなかなかやかましい人だなということがわかる。「鳥のすり餌のやうな」という文句があるが、鳥のすり餌のように、単にやわらかいとか、消化がよいとかいう意味以外に、西園寺公は今もって食道楽があるようである。
 新聞の記事だからあまり当てにはならないが、「松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで」と言うその松薪とは、くぬぎ薪の間違いではなかろうか。松薪で飯を炊くというのはあまり聞かない。松薪はヤニの多いものだから火力が一気に上がるし、煤煙もきつくて、飯を炊くのには適しないように思う。多分くぬぎ薪のまちがいだろう。
 京都人で飯の炊き方なんかにやかましい連中は、くぬぎを用いているし、くぬぎで炊いた飯は火力の具合が非常にいいようである。自分もくぬぎで飯を炊いたことが何遍もある。
 次が「たひの目玉」のことである。たいの目玉だけを魚屋に注文するというのは、京都の人なんかによく見受ける例である。それは、京都人が食通であっても、かなりケチなところがあるからのことで、京都人はその主人が食道楽である場合、自分ひとりだけが美味いものを食う癖がある。家人にも分けて食わすようなことはしない。そこで経済的に目玉だけを魚屋に注文するなんていうことがある。
「たひのわき腹一寸四方」というのもこの手である。そこでたい一尾のうちから、目玉と脇腹一寸四方とを食うということは、たいの美味いところだけを確かに知っている人と言ってよい。
 まだこのほかに、たいの美味いところがあるにはある。それはきもと白子だ。これは目玉や脇腹以上に美味いと言えよう。きもは脂肪のかたまったものだから、八十何歳の西園寺公にはやや脂っ濃すぎるかも知れないが、白子なら慥かに適するはずである。だから、たいの白子なぞは、公の好物にちがいないと想像するのである。
 たいの脇腹というのは、いわゆる、その脇腹の薄身を指すのである。薄身と背肉とは、全然質がちがってる。棒だらなんぞ食う場合に、食…

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