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知らずや肝の美味
しらずやきものびみ
作品ID54971
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-11-03 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 魚類の肝にはなかなか美味いのがある。鳥の肝にもあるにはあるが、さかなの肝の美味さには遠く及ばない。獣の肝には、これは美味いと感じたことがない。さかなの肝で特に美味いのは、たい、はも、かわはぎ、ふぐ、あんこう、うなぎ、たら。鳥では、フランスのフォアグラ(鵞鳥の肝)が有名で、私も瓶詰を知っているが、事実全く美味い。日本の鳥の肝には、とりわけ美味いというほどのものはないようだ。まずまず鶏の肝が第一番という所であろう。魚の肝の中でのピカ一の優品は、はものそれで、次が、たい、かわはぎというところであろう。ふぐの肝も美味いには美味いが、ふぐの身のように別段魅力のあるものではない。あんこう、たらなどの肝は下手物味で、風上に立つ上品さ、すなわち品を欠く憾みがある。
 うなぎの肝吸いものというのは、相当しゃれた下手吸いもののひとつに加わっているが、これは単に肝のみを利用しているのではない。苦肝を去った臓物全部を仮りに肝と称して使っているのである。単に肝だけとしたら、取立てていうほどのものではなかろう。すっぽんの肝というのが、なんだか想像の上では、美味そうに考えられるのであるが、これはまたどうしたものか、とんと美味くないものである。それでも京の大市では、その肝を丁寧になべの中に添えて出すところから、その都度、美味かろう美味かろうで、よもやにひかされて食ってはみるが、何度食ってみても一向美味いものではない。
 さかなの中で魚体も美味い、臓物全部いずれも美味い、腹子がまた格別美味いというのは、はもだけである。かわはぎの魚体は、さまで美味いとは言い難いが、しかし、その肝に至っては並々ならぬ特別の美味さを有っている。これあってこそ、このさかなが価値づけられているわけである。しかるに、その肝が捨てられるとあっては、笑止千万である。
 ふぐの肝も、法をもって食うようにして食えば毒でもなし、相当美味いもののひとつではあるが、猛毒を有するとして、これを捨ててしまっている向きが多い。あるいは無闇と長時間ゆでて、なんの味も風情もないものとして、かろうじて食っているようなものもある。この肝の美味さを生かし、しかも、危険のない法を心得ないでもないが、余計なことを披露したために生兵法をやられても大変だから、特志があれば直伝することとする。
 ふぐの肝をすりつぶし、醤油に混ぜて、ふぐの刺身につけて、美味がる向きもなしとはしないが、これは全然素人食である。ふぐの肉の味は、他から脂肪の荷担を受けなければ美味くないという美味さではなく、むしろ、脂肪気の稀薄な素質に特長を持ち、麻痺性を特色として、ふしぎな魅力を有するのであるから、全部が脂肪そのものであるような肝の味の荷担を受け入れる必要は毫もない。それは却って、ふぐそのものの美味さを傷つける拙案と言うべきである。
 この方法を、もし生だらに利用するとせば、それ…

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