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蝦蟇を食べた話
ひきがえるをたべたはなし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-11-09 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 山椒魚は手に入れるのが困難だが、反対にいくらでも手に入るもので、しかも、滅多に人の食わないもの、それでいて、相当の珍味を有するものと言えば、日本の蝦蟇だろう。
 ひと頃、食用蛙というものが流行して、非常に美味いもののように言われたが、食用蛙などよりは蝦蟇の方が、よほど美味い。しかし、このことを知っている者は、案外少ないようである。
 私がはじめて蝦蟇を食ったのは上海であった。ある料理屋に入ってみると、蛙の料理が特別に大きく書いて貼り出してあった。大田鶏と大書して貼り出してあったところをみると、中国でも蛙の料理は珍しい料理か、少なくとも呼びもの料理であったに違いない。さすが中国だけに面白い字を使う。田の中の鶏とはうまい表現である。
 これは珍しいと思ったので、早速注文した。すると大丼に一杯持って来た。煮たもので薄葛がとろりとかけてあった。一体中国料理というやつは、いずれも大袈裟で量の多いものであるが、このときも御多分に洩れなかった。いくら美味くても、こんなには食えまいと思ったが、いざ食ってみると、非常に美味いので、とうとうみな平げてしまった。
 それから、どんな蛙だろうと思って、みせてもらったが、日本の蝦蟇をやや小振りにしたくらいの大きさで、色は赤味がかっていた。いわゆるアカヒキという種類である。シュンは冬眠の時期であろう。私が食ったのは、五月で産卵後であったかと思うが、それでも非常に美味かった。
 ところが、美味も美食も、意のない者には縁がないもので、中国に十年も住んでいるとか、またはたびたび中国を訪問したりしているが、いわゆる中国通にかぎって蛙を食わしていることを全く知らないものが多い。蛙が美味いと私が話をすると、そういう連中が知らないものだから、びっくりして、「ほんとうか」などと不審がる。初めて上海へ行った新参者の私が、そういう古強者の中国通たちを案内して、蛙料理を食わしてやると、いずれの面々もその美味に驚嘆した。
 そんなわけで、私は日本の蝦蟇も相当美味いだろうと思っていた。いつか機会があったら食ってやろうと考えていたのである。しかし、なんと言っても、蝦蟇の皮膚は見るからに気持が悪いから、ちょっと手を下す気になれなかった。習慣の力というものは恐ろしいもので、こういうものは、やはり、なにかのきっかけがなければ食えないものである。
 ある時、瀬戸から来た陶工が、瀬戸あたりでは蝦蟇などはほとんど常食のように食っている、誰でもそこらへ行って捕えて来ては食っている、という話をした。亀などもよく捕えて食うということだった。なるほど、あのあたりで土いじりをしている職人というものは、百姓みたいなものであるから、さもありなんと、私はこの話を心に留めていた。
 それから瀬戸の赤津へ行った時、この話を持ち出して、
「この辺ではみなよく蝦蟇を食うと聞いたが、ほんとうか」
 …

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