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美食多産期の腹構え
びしょくたさんきのはらがまえ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-07-12 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 心のおもむくままに、いつも美味いものを食って、心の底から楽しんでみたい。朝も昼も晩も。犬や猫のように、宛てがい扶持の食事に、その日その日をつづけることは、肉体は生きられるとしても、心の楽しみにはならない。心に楽しむ料理なんて考えても縁遠い。食って生きて行きさえすれば、それで結構なんだ。安価で栄養価値のあるもの、それで充分じゃないか、今の世の中はと。エネルギーのない多くの人々はこれを常識として、栄養不良というやくざ人間をつくり出している。これが当世らしい。心に楽しむ余裕を持っていないのだろう。持っていても、極めて消極的で、あさはかなものらしい。
 カロリー、ビタミンを一々気にする料理は、実を言うと栄養薬であることに気がつかない。だから美味くない。美味くない食事から充分に栄養を摂らんとするのは不合理に考えられるが、そこまで考えている者は稀なようである。
 このことは日本人は言うに及ばず、外国人も同様らしい。アメリカの都市を観て歩いても、実に薬品店の多いのに驚かされる。ヨーロッパもその通り、よろめき歩く死一歩手前の老人の多いのに驚かされた。弾力ある青年時代の無鉄砲の酬いと見て間違いはあるまい。栄養薬的食事も一応は隆々たる筋肉をつくってくれる時代があるようだが、弾力ある精神にまではおぼつかないのではないか。ヨボヨボ老人の多数が公園に憩う風景を先進国に見る事実は、とくと考えて見る必要があろう。私の言う栄養薬的料理、それは小児あるいは自由を拘束されているような人間だけにして、その他は各自の自由にまかせて勝手気儘に心の底から楽しめる食事を摂れば、カロリーがなにほど、ビタミンがどうのと考えなくても、おのずから健康はつくられると私は信じている。
 しかし、美味いものを食いつづけようとするには、もちろん知識も要る。経験も要る。努力もしなければ発見ができない。しかし、この努力はまことに楽しい努力であって、苦労にはならない。
 私は今なにを考えているかと言うと、能登に産するこのわたを手に入れようとし、その卵巣のくちこをなんとかして一刻も早く口にしたいものだと念願している。このわたは知多半島にもある。尾道にも名物はあるが、能登半島のは特別の風味をもって、私たちをよろこばせてくれる。くちこに至っては絶味と言っていい。北海における寒中が生むところの味覚の王者である。それを送ってくれる友人が、二、三あって、今からモーションをかけ、せっかく努力中で、その楽しみは、まさに寿命をのばしてくれるようだ。しかも、これは私が五十年前からつづけている年中行事なのだ。
 寒中ともなれば、数知れずと言いたいまで美食がせまって来て、その楽事に忙殺される。中形のふぐを食うのも口福の大なるもの。京のたけのこ、冬眠のスッポン、江州瀬田の寒もろこもまことに楽しい美食である。能登ぶりの砂摺りの刺身などは、考えるだけで…

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