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美食と人生
びしょくとじんせい
作品ID54982
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-07-12 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今さら事新しく問題にするのも、チトおかしいようだが、料理も考え方によっては、こんなことが言えるかも知れない。
「お惣菜料理」とは手の込む工夫を一切排除して、その上、なるべく安易に入手できる安価な食品材料を選び、口に充分なよろこびを与え、栄養という流行語にも当てはまるよう考慮して拵えるのが、今の人のお惣菜料理である。
 これとは全く世界を別にし、多くの庶民にはなんの関係もないようなものが高級料理と言うもので、いわゆる料理屋の料理である。この世界では、もとより手の込む工夫を少しも意とせず、材料の高い安いも問題とせず、原料を美化して、まず眼から楽しませ、耳を鼻を口をと、人の心を和やかにする。もちろん、これにも段階があって、一人分千円以上一万円くらいの差がある。しかし、ただ高いのではない。高いのにも安いのにも、それぞれわけがあって、見る者に理解さえあれば、その理由は得心の行くものである。値は値だけのものとは、昔からよく人の言う通りである。世間で許されている高価な上等食は、貧しき生活を離脱して富者の群に入り、食の自由を求めるほかにぶつかる法はない。
 しかし、不味いというものも慣れてみると、存外な美味を発見することもあり、高級上等食も食い慣れない者の口には、その至味、容易に感じ取れるものではない。人おのおの与えられた運命がつくってくれるところの料理に満足し、みだりに分を越えた他の世界を羨望するものではない。こうなれば、万人が万人みな美食家であり得るはずである。
 元来、人の日常には相当間違いがあって、人目に触れる衣類の如きは必要以上に装飾し、分際を越え、楽しみと苦しみを混乱させているが、食物には冷淡で、食の世界は顔色を失っている。
 衣食住のうちの食でたちまち無能を疑われ、豚のように、なんでも与えられたものをもって満足し、生涯を終る如きは、いささか外聞が悪い。幸いなことに日本料理は幾千幾百と材料に恵まれている。いわゆる山海の珍味が豊かなことも世界一のように私には考えられる。このような国にあって、食道楽を極めない者ありとするなら、文化人だの自由だのと言う資格は怪しくなってくる。正しい食道楽は答えとして、なにを生むかを知るべきであろう。口に美味さを感ずる刹那の楽しみだけが、食道楽と断ずるのは早計である。
 ぜいたくだの、もったいないなど、昔の京都の家庭人のようなのは、一旦病を得ては、名医といえども投薬のしようがなさそうである。中国人なども存外体格を具えているのは、食物に対する関心の深いことで、下層料理も上層料理も、ともに進んでいるのは、そのためと言えよう。
 日本の食器には及ぶべくもないが、中国は宋代より明末までは食器の発展が大したものであった。目下は食物も料理も食器も、日本と同じように堕落してしまい、よく恥ずかしげもなく平ちゃらで、バカな真似してられるものだと思われて…

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