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料理一夕話
りょうりいっせきばなし
作品ID54986
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人味道」 中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-07-22 / 2014-09-16
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 料理の話? 君、料理の話をしたってムダだよ。たとえば、かつおぶしでだしを取るとか、昆布でだしを取るとか言っても、かつおぶしにも昆布にも種類があり、良否があり、取り方にも口で言えないコツがある。竹内栖鳳は、門人に教えて、出来るだけ丁寧に写生をすること、それから出来るだけ筆を抜いて写生すること、それから後は「悟り」だと言ったそうだが、料理もつまり「悟り」だ。
       *
 砂糖は何匁、味酬どのくらい、と言ったって、そのコツが分るものではない。僕に言わせると、料理屋の料理は美味くないと言えるね。料理はせいぜい五人以下で味わうべきもので、ほんとう言うと、私がつくる、あなたが食う――つまり、さしで行かなければ、ほんとうには味わえない。
       *
 第一「味の素」なんか出来たのでいけない。なんの料理も「味の素」の味になってしまった。料理人気質のやつに言わせると、手前で味をつけられないでどうする、と言ったふうで、「味の素」なんか使わなかったものだが、この頃は誰でも「味の素」でごまかしてしまう。困ったものだね。
       *
 僕が料理を始めた動機かね。どちらかと言えば、料理は昔から好きだったね。美味い不味いが判る方だったらしく、子どもの時から家の食膳に上るものを、いつも批評していたらしく、美味いとか不味いとか言ってたらしいね。一度くらい黙って食べたらいいだろうと、よく母なんかに注意されたものだ。
 料理屋に言わせても、塩さばの鑑定はむずかしいものだが、僕は子どもの時から、どれが美味い塩さばかすぐ判った。しかし、むろん料理屋になるつもりなんかなかった。
 僕が若い頃、東京へ出て来て、岡本一平のお父さんに世話になったことがあるが、ある時、一平と僕を並べて、「お前たち金があったらどんな道楽をするね」と言われて、「陶器をいじってみたいと思います」と答えたのを覚えている。一平はこの時、「人間は一生の大半を寝て暮すのだから、布団だけは道楽したい」と答えた。そんなふうで、料理などは頭になかった。
       *
 星岡の由来? ウン、あれはネ、便利堂の中村竹四郎君が、仕事がないというので、僕も書画道楽だし、いっしょに東仲通りに美術店を開いた。大雅堂という店名のね。そのうち常連も出来て、毎日うなぎとかなんとか料理がはいる。僕は、ほんとうを言って、そんな料理は美味くないので、自分だけ、里芋のいいのがあるとこれを煮たり、なすのいいのを見つけて料理したり、塩じゃけを焼いたりして食べたものだ。さけはしっぽでないといい味はないものだ。すると、外の連中が見つけて、美味そうだな、俺にもひとつ、というようなことになり、そのうちに、料理屋の品よりこっちがいい、ひとつ料理方を受け持ってくれ、ということになったので、僕も好きなものだから、よろしい、とやることになった。そのうち、仲間だけで…

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