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らんの花
らんのはな
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 11」 講談社
1977(昭和52)年9月10日
初出「真理」1936(昭和11)年6月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者酒井裕二
公開 / 更新2017-06-07 / 2017-05-29
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(この話をした人は、べつに文章や、歌を作らないが、詩人でありました。)



 支那人の出している小さい料理店へ、私は、たびたびいきました。そこの料理がうまかったためばかりでありません。また五目そばの量が多かったからでもありません。じつは、出してくれる支那茶の味が忘れられなかったからです。支那茶の味がいいってどんなによかったろうか。まず、その店で飲むよりほかに、私は、それと同じい茶を手に入れることができなかったのです。
 その味は、ちょっと言葉には現されないのですが、味というよりも香いがよかったのです。なんというか、まだ、江南の春を知らないけれど、この茶をすするときに、夢のような風景を恍惚として想像するのでありました。
 そして、頭の上の額には、支那の美人の絵が入っていましたが、美しい、なよやかな姿が、茶をすする瞬間には、さながらものをいうように、真紅な唇の動くのを覚えました。
「君、このお茶の中には、香いのする花が入っているようだが。」と、ある日、私は、この店の主人に向かって、ききました。
 腰が低くて、愛想がよく、ここへ住むまでには、いろいろの経験を有したであろうと思われる主人は、笑って、
「このお茶には、蘭亭の白いらんの花が入っていますよ。」と、答えました。
「ははあ、らんの花が入っている。なるほど、それで、こんなに、やさしい、いい薫りがするのかな。」と、らんの花のもつ、不思議な香気に、まったく魂を酔わされたように感じたのでした。

 偶然のことから、私は、らんに興味をもつようになりました。いままでは無関心にこれを見ていて、ただ普通の草の一種としか思われなかったのが、特別、高貴なもののように思いはじめたのです。そしてすこし注意すると、世間ではいつからか、らんが流行していて、玩賞されているのに気づきました。デパートにもその陳列会があれば、ときに公園にも開かれるというふうで、私は、いろいろの機会に出かけていって、らんを見ることを得ましたが、その種類の多いのにもまた驚かされたのです。たとえば南洋の蕃地に産する、華麗なちょうのような花をつけたもの、離れ島の波浪が寄せるがけの上に、ぶらさがっているという葉の短いもの、また台湾あたりの高山に自生するという糸のように葉の細いもの、もしくは、支那の奥地にあるという、きわめて葉の厚くて広いもの、そして、九州の辺りから、四国地方の山には、葉の長いものがありました。その中にも、変種があって、葉の色の美しい稀品があります。花もまたいろいろで、一本の茎に、一つしか花の咲かないもの、一茎に群がって花の咲くもの、香気の高いもの、まったく香気のしないもの、その色にしても、紫色のもの、淡紅色のもの、黄色のもの、それらの色の混じり合ったもの、いろいろでありました。しかし、まだ白い花を見なかったのであります。これらのらんには、いずれも高価の…

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