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瀬戸・美濃瀬戸発掘雑感
せと・みのせとはっくつざっかん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人陶説」 中公文庫、中央公論社
1992(平成4)年5月10日
入力者門田裕志
校正者雪森
公開 / 更新2014-11-16 / 2014-10-13
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 倉橋さんから先日彩壺会の講演の依頼を受けました。所が私は倉橋さんみたいにうまくお話が出来ません。そこで講演は幾度かお断わりしましたが、私がかつて発見いたしました美濃の発掘品を並べて、一先ず簡単にご報告をしようということを約束しました。
 古来日本では志野の焼物が大変喜ばれておる。ところがそれがどこで出来たか全くわかっておらなかった。瀬戸で志野某が注文して焼かせたという伝説が一般に信じられていました。
 さて昭和五年に名古屋の松坂屋本店で私の陶器作品の展覧会を催しました。その時手伝いに来ておった荒川豊蔵君が多治見の人でした。だから美濃の国の事情に精通していました。釉、顔料について私に智恵をつけてくれる人でした。展観手伝い中の余暇に美濃に行って古い釉薬でも探して来いと言ってやると、二、三日して戻ってまいりました。その時志野の破片を図らずも持って来て、私に、これはなんでしょうかと尋ねました。これはほんとの志野だ。私はびっくりしました。昔から志野の窯は誰にも知られておらなかった。勇み立って早速美濃の国にかけつけ、荒川君を鞭撻し、ここらあたりと思う所を掘ってみました。それが図らずも美濃幾十の窯跡中一番古い大萱窯だったのです。
 そこで志野が発掘されるので、興味をもったところが、志野と黄瀬戸と同じ窯から出て来て、再び、興味を湧き立たせた。次から次へと近々の窯跡を発掘して行きました。大体掘り返して美濃の窯はどんなものであるか、概念的にわかって来ました。
 例えば古来茶道でやかましい古瀬戸は必ずしも瀬戸に出来たものではなくて、美濃で焼かれていたことが明らかになった。その中でも私が意外に思いましたことは、古来の黒の沓茶碗というものは、茶道のために少数造られたものと思っておりましたのに、久尻窯から山のように発掘されて来ました。擂鉢を造るように造っていたことを明らかにしました。瀬戸黒茶碗と擂鉢と一緒に焼いていることもわかりました。やかましい瀬戸黒茶碗はごますりと一緒に焼かれていたのです。それからまた志野が志野だけ特別に焼かれたものではなく、黄瀬戸その他のものと一緒に焼かれたことなど、これまたわかりました。
 もう一つ考えさせられたことは、大萱の志野は一番芸術的に見て立派だった。古来茶人の珍重する焼物の芸術的根源をなしておるということです。
 発掘はその方法に於て奥田誠一君たちからお叱言を頂戴したのでありますが、発掘したおかげで以上のようなことがはっきりいたしまして、徒労ではなかったのであります。それからもう一つ、発掘では焼物を年代順に区別できません。下の物が古く上の物が新しいというようなことは、ごっちゃになってわかりません。年代的に行くと他の絵でもなんでも古いほど概して立派である。五百年前ほどより二百年前は劣る。五十年前でも今よりは優っている。大萱が一番古い。だから立派でした。…

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