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私の陶器製作について
わたしのとうきせいさくについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人陶説」 中公文庫、中央公論社
1992(平成4)年5月10日
入力者門田裕志
校正者雪森
公開 / 更新2014-11-28 / 2014-10-13
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 あるやんごとなき御方の御下問に奉答した私の言葉の要約を摘記する。
 ――あなたのなさってる陶器研究というのは釉薬の研究がむずかしいのですか。
 ――それも一つでございますが、一番私の重きを置いておりますのは作行であります。
 と申し上げたところ、作行とは……と、重ねて御下問があったので、
 ――土の仕事、即ち土によって成り立つ成形上の美醜に係わる点に於て、芸術上から鑑る観点であります。陶磁器は、この土の仕事が芸術的価値を充分に具えていることを第一条件とします。いかに美しい釉薬が塗布されても、いかに力ある模様が付されても、土の仕事が不充分では面白くないものであります。それに引き換え、土の仕事が芸術的価値を充分に具えます場合は、釉薬が掛かりませんでも、少し曲りまして出来そこねましても、所期の色沢が出ませんでも、元々根本の土の仕事の作行が良いのでありますために、燦然として有価値に光を放つのであります。
 と申し上げさせていただいた。そうして、さらに言上した内容を摘記すると、こうである。
 ――古来、有名なる陶器は、いずれもこの土の仕事が立派に、芸術的要素を具える上に、さらに良き模様が良き筆者に描かれ、またその上に美しい釉薬が掛かり、適当の施薬、適宜の無釉、あるいは彫紋が施される。実例を挙げて言えば青瓷、宋代に生まれた青瓷砧という、あるいは雨過天青という優れたる青色釉のやかましい青瓷も、所詮は土の作行が良いための良き色であって、色の優れたるばかりではないのである。仮りに宋青瓷の釉薬が現在に生まれ出たとしても、今の作家の力では、なんの問題ともならぬであろう。ただ色が美しいというだけであって、宋青瓷を尊ぶような尊び方はしないであろう。万暦赤絵にしても、古染付にしても、乃至朝鮮ものにしても、いずれもいずれも土の作行が良いということが根本価値となって光彩を放っているのである。古瀬戸然り、古唐津然り、仁清、乾山、木米、あるいは柿右衛門、いずれもいずれも土の仕事が根本的に芸術的要素を具えて有名であることは争えない事実である。
 そこで、私の製作上必然の欲求として、学者の欲求が常に集書にあるように、古えより伝えるところの古陶名器を出来得るかぎり聚集し、与えられるかぎり広く古えを見ることに努めている。
 釉薬の研究も大事であり、決して等閑にならぬものであるが、この土の作行を第一義として重く考えている。故に良い陶器を作ることは、別段にわざわざ構えて意匠の工夫を施すにも及ばない。目新しいというようなことを狙うにも及ばない。色に於ても是非ともこうでなくてはと決めてかかる要はない。漫然と新奇を衒うようなことはなおさら思う要もない。そもそも形に於ける意匠、釉薬表現の色調、着け模様などによる賢しい働きは主として理智のみによって出来ているのが現代の芸術である。名は芸術であっても、実は、芸術でも…

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