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紅梅の客
こうばいのきゃく
作品ID55097
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「花の名随筆2 二月の花」 作品社
1999(平成11)年1月10日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-06-06 / 2014-09-16
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ひとくちに紅くさえあれば紅梅といっているが、あの紅さもいろいろである。ほんとの真紅はまったく少い。かなり紅いのでも花の顔を覗くと中はほの白くて、遠目にするとそれが淡紅に見えてしまう。しかし真の紅梅であれば色はただの緋というよりも黒緋にちかく、花芯のシベも胡麻ツブのもっと可憐なものに似ている。そしてまた枝を剪ってみると、樹皮下の木目までが、まるで梅酢で漬けた紅生姜か何ぞのようにしんのしんまでほの紅い。
 薄紅梅も薄さによっては悪くないが、春さきの木隠れに、あの黒緋とも見えまた陽に映えるとその鮮紅を艶めいてみせるようなのが――それも決して大樹でなく姿は屈み腰の女ぐらいなとこが恰好だが――町の庭には一本欲しいものと、かねがね願っていたところ、いぜん疎開していた吉野村の青年が、はからずもこんなのがありましたがと、つい数日前、わざわざ花のついたのを持って来てくれて、書斎の庭前に植えてくれた。聞けば、花のついてるときが、移植にはいちばんいいのだそうである。
 ゆうべ夜半に春雷があって、雹やら風が雨戸を打った。だが心配していた緋紅梅は今日もなおその妍や香いを失っていず、机仕事の私のほうへ折々ものを言いたげな容子にみえる。
 それで思いだしてきた。むかし廓の吉原にはこんなひとが居た気がする。それが誰かは考えついてこないが、しんそこ、花のしんまで真紅な女が稀れにかえってあんな泥の中には咲いていたのだった。私はなにも私の放蕩流連をきわめた若い日を恋わんがために紅梅を欲しがっていたわけではないが、春日の小庭の梅がしきりと話しかけてくるのである。あの人と彼の花魁と、あの友人とかの女と、いろんなことがそこではあった。おもしろかった。新内流し、仲の町のぞめき、格子先の影絵のような男たち、そんな夜景の霧に濡れて、まい晩三、四の友達とただ一ト回り歩いて帰るだけでもたのしかった。
 あの中には人間の悪と色欲とを昇華させて、たんにそれだけでも何かの思いに浸させる吉原一廓の煩悩芸術が三百年来あったのである。それが失くなり、赤線の名さえ亡んでしまった灯のあとは、いまどうなってしまったのか、私も近ごろの事はさっぱり知らない。だが言えることは、吉原も平家のごときものだった。あの「平家物語」の庶民版は、吉原にもずいぶんあったろうにと思われる。
 そういえば、こんなことが私にもあった。
 戦争も終ったばかりの頃である。疎開していた吉原村の茅屋へ、ある日ひょっこり珍しい客三人が訪ねてくれた。奥多摩の単線電車は殺人的なものだし、進駐軍管内の立川をこえるだけでもたいへんな道中だったときである。それなのに客は思いがけないひとで、むかし吉原の引手茶屋で親しんだ仲の芸者の栄太郎とせい子とそして幇間の善孝とだった。忘れも得ないのは、その折、土産にくれた“橋場のせんべい”の味であった。久々振りに引手の朝の“せんべい花漬…

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