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三浦環のプロフィール
みうらたまきのプロフィール
作品ID55134
著者吉本 明光
文字遣い新字新仮名
底本 「三浦環 「お蝶夫人」」 人間の記録、日本図書センター
1997(平成9)年6月25日
入力者荒木則子
校正者小岩聖子
公開 / 更新2015-12-22 / 2018-01-20
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 三月十日の空襲で東京の一半は焼野原になってしまった。銀座も半分なくなってしまった。東京の市民は荒涼たる焦土と、戦争に対する絶望感から意気阻喪してしまった。打ちひしがれた市民を慰め、惨めな生活にほんの僅かな潤いを与えるのは音楽以外にない[#「ない」は底本では「なり」]。音楽の配給をしていた日本芸能社では先ず街頭演奏を計画して、戦災の余燼くすぶる三月十四日から新宿駅と上野駅の広場で、下八川圭祐、淡谷のり子、笠置シズ子さんを始め、音楽家を動員して街頭演奏をやったところ、予想以上に市民から悦ばれた。そこで次になすべきことは日比谷公会堂で音楽大会を開催することである。その大会に出演を依頼するために、富士山麓の山中湖畔の疎開先きに三浦環さんを訪問したのは五月二十二日だった。バスを降りてから一里の道を雨に濡れて三浦さんの家に辿り着いたのは、黄昏時の七時頃、がらっと障子戸を開けると土間、あがりばたの部屋には囲炉裡があって、自在鈎にかけたお鍋の蓋をとって煮物のお塩梅をしていた、やせたお婆さんが、おやっといった目付きで訪問客を見た。「三浦先生おいでですか」「えッ!」僕はまさか、このやせたお婆さんが三浦環さんだとは考えもつかなかった。戦争のために栄養物がなくなり、日本人はみんなやせた。肥っているのは軍官と結託して闇物資をあさっている闇肥りの連中だけだったが、それにしても、あのでっぷり肥って、色艶がよくて、せいぜい四十そこそこにしか見えなかった、若々しい、三浦環さんが、僅か一年ほど逢わないうちにこんなにやせて、こんなに一度に年をとって、お婆さんになろうとは夢にも考えられなかった。
 囲炉裡の火で濡れた洋服を乾かす間もなく、山中湖の鮒だの、山濁活だの、富士新種というねっとりした馬鈴薯だの、戦争前でも珍らしい御馳走が次から次へと出された。三浦環さんは昔から見栄を飾らない。虚栄などというものは薬にしたくもない。いつでも素ッ裸になって、生地ありのままで応対する。演奏会とか、お弟子さんを楽壇に紹介するための公式のリセプションを除き、麹町の自宅を訪問して、時分時になると「お茶漬けを一杯召上がれ」といっては、有合わせのもので、御馳走する。見栄も張らなければ虚飾もない、ただ真心で温たかくもてなして下さった。
 その夜、囲炉裡を囲こみながらの、文字通りの炉辺歓談は、この春八十八歳で他界されたお母さんのことから始った。今年の寒中は近年稀な寒さで、山中の夜中の温度は零下二十六度にもなった。その寒夜に、夜中に三度も起きてユタンポを取替えてあげたこと、ユタンポのお湯が煮立つ間に、シューベルトの名作「美しき水車小屋の乙女」の訳詞をしてそれを暗記したこと、そしてお母さんの病気からお葬式までの憶い出を綴った「わが母」という手記を朗読して聴かせた。人一倍孝行だった三浦さんの真情が吐露した、情にあふれた文章を、あの…

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