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吉日
きちじつ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第十二卷」 福武書店
1985(昭和60)年7月30日
初出「サンデー毎日 第七年第十三号」毎日新聞社、1928(昭和3)年3月15日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者山村信一郎
公開 / 更新2014-02-08 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「自分に關しては、たゞ一つだけ確信してゐることがある。……疾かれ遲かれ、ある吉日に自分は死ぬるのだ。」
「私は、それ以上の確信を有つてゐる。私はある惡日に生れたのだ。」
 年少の頃、『浴泉記』といふロシア小説の飜譯を讀んだ時に、私はかういふ會話のやり取りに心を打たれたことがあつた。(後年英譯で讀み直すと、「美しい朝」と「いやな晩」といふ文句が、吉日惡日を言葉として對照されてあつた。)
 それ以來、わが生れた日が惡日で、わが死ぬる日が吉日だといふやうな感じがをり/\胸に起こつてゐた。
 この頃は、さういふひねくれた人生觀の發露で「吉日」「惡日」を定めることはないのだが、世を隔離してゐるやうな昨今の私の生活においても、日の吉凶が、入り亂れて影をうつすやうに思はれることが多い。沈滯した水のやうな靜かな生活では、なほ更さういふことが感ぜられ易いのかも知れない。
 たまに表の格子戸が開いて、訪問客の來たらしい氣配がすると、私は、靜かな水に小石でも投げられたやうな波動を胸に感じるのであつた。靜坐の行が亂される氣がするのを例としてゐた。訪問客があつたのを、吉日のうちに分類したことは滅多になかつた。文學青年にねち/\話し込まれる時の惱ましさはいふまでもなく、長い尻の雜誌記者に、何がなしに應對さゝれるのも心の疲れを來す原因となるのであつた。私のところへでもをり/\電報が舞ひ込むのだが、故郷には老いて病める兩親がまだ住んでゐるのだから、原稿の催促でも電報を打たれるのは、私には有難くないのであつた。宛名が私の作者名になつてゐるのを見て、まづ安心してひらくのであつた。
 私の戲曲も、二三度上演されて、上演料までも貰へたことがあつたが、さういふ時には、興行者からの使者が私の家の玄關へも現れた。その時のお使者の顏には、「今日はいゝことを知らせに來てやつたぞ。」といふやうな表情が浮んでゐると、取次に出た妻が多少の反感を寄せていつてゐた。……しかし、それは吉報に違ひないので、日記に吉日のしるしをつけて置いていゝ譯であつたが、そんなことは滅多になかつた。それに、見物を狂熱させる力のないものを、興行者の方でも狂言に窮した餘りに採用したらしいのに、その上演を名譽とするやうに喜ぶのは、自ら顧みて不見識に思はれた。
 私は、用事以外には、知人と書翰を取りかはすことは、極めて稀なのであつたが、妻のところへは、彼女の親戚や私の身内から、をり/\音信があつた。離れ島へ本國から船が着いたやうに、彼女は喜んで迎へるのであつたが、しかし、この頃の手紙には、あちらからもこちらからも、出産の知らせが多くつて、子供のない私達には、自分の身邊の淋しさを顧みさゝれる刺戟になるに留まつた。さういふ手紙を見ると、その人達が子が生れたとか、その子が笑つたとか、その子が立つて歩いたとかいふことが、天下の大事で、萬民が興味を寄する…

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