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詩とはなにか
しとはなにか
作品ID55175
著者山之口 貘
文字遣い新字新仮名
底本 「山之口貘詩文集」 講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年5月10日
初出「全繊新聞」1958(昭和33)年9月7日~21日
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 詩を書き出してから、すでに四十年に近いのであるが、さてしかし、詩とはなにかと来られると四十年の年月もぐらつくみたいで先ず、当惑をもって答えるしかないのである。ではなんのために詩を書くのかと来られてはこれもまた直立不動の姿勢にでもなって、ただ口をもぐもぐしているよりほかはないみたいなのである。
 詩人のくせに、はなはだみっともないようであるが、実は詩人だからこそそうなのであって、詩とはなにかと問われても、ちょっと一口では答えられないものがあるからであり、なんのために詩を書くのかと問われても、それらの答えは、灰皿やマッチみたいに、すぐに出せるものではないからなのである。つまりは、詩とはなにかといわれても、詩の定義はむずかしくて、四十年の詩作をもってしても答えることが困難なのである。
 たとえばある詩人によると、詩は叫びであるというのである。そうかとおもうとある詩人は、詩は怒りであるというのである。また詩は美であるというのもある。あるいは、散文であっても小説であっても、あの特定の審美的情緒を感じさせるものがあれば、それを詩といってもよいという風なのもある。また、詩は批評であるとするものもある。
 またある詩人は、精神のある状態の記録であると説明する。そしてまたある詩人は、詩は経験であるというのである。またある詩人にとって、詩は美や真実をもとめる人間感情の純粋な表現であるという。ある詩人は、詩は青春であるともいうのである。数えあげると、おそらく詩人の数ほどいろいろあるに違いないのである。
 そんなわけで、詩とはなにかと問われても、誰もが詩とはこれだと答えられるような定義というものがあるのではないからなのである。ということは、それほど詩の定義づけはむずかしいということなのであって、詩人の間ではむかしから、詩とはなにかが問題にされつづけて来たのであるが、その答えは前に述べたいろいろの例のように、各人各様に試みられているに過ぎないのである。
 そこで、話はぼくのばあいなのである。四十年近くも詩を書いて来たとはいうものの、正直なところ、詩とはなにかと問われると、問われるたんびに戸惑いしないではいられないのである。しかし、それでも詩を書いて、詩人のつもりで生きて来たのだとおもうと、そこに詩を投げ出して逃げ出したくもなるのであるが、なにしろ何十年も歩いて来た道なのである。引返すことはすでに不可能なことであり、いまとなっては飛び込む横丁もない始末なのである。
 そういうぼくにとって、出来ることはただ一つ、詩を読んでもらいたいと、答えの代りにおすすめするより外にはないのである。
 いかにも、ずるいみたいであるが、やむを得ないわけで、詩とはそういう風にして自分の手でさわり、自分の眼で見てわかるものなのであって、問いに対する答えを待っていたのでは、何年経っても実感としてはわからないの…

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