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つまり詩は亡びる
つまりしはほろびる
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「山之口貘詩文集」 講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年5月10日
初出「むらさき」巌松堂、1937(昭和12)年4月号
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-02-05 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 かつて、アンドレ・ジイドのソヴィエットへの関心を知るや否や、それを以て直ちに、赤化したアンドレ・ジイドと見なしたかのような観方をした人々が、日本の国にあったと記憶する。
 彼等は、ジイドのソヴィエット旅行に就て、いよいよジイドが、ソヴィエットから土産として持って帰るものは、赤色ジイドに違いないと想像位はしていたかも知れないのであるが、さて、ジイドの帰りを迎えて見れば、振ら下げて来たものは、相変らず彼の批判や感想やらにまつわりついているソヴィエットからの痛烈な非難であった。
 いま、再び世間は、旅行帰りのジイドに就て、色々の検討をなし騒ぎ立てているのにもかかわらず、その声達のなかには、どうしたことか、かつてジイドを赤化したのであるかのように見なしていた彼等の声がきこえないのだ。いま、彼等はどこにいてどのようにジイドを観ていることか。
 それを僕が知りたいわけは、かような機会に於てこそ、外国人の所謂、「日本的観方」という日本の姿を見なおして見たいそのためにだ。

 これもまた、ジイドの赤化云々が伝えられたその頃のことだった。或る新聞で、或る日本人のジイド訪問記を読んだのであるが、その日本人が、ひとりのフランス人氏同伴でジイドを訪ねての帰途に、ジイドも先ずあの莫大な財産を清算しなくてはなるまい、というような意味のことを言ったことに対し、フランス人氏は立ち所に、それは日本的考え方だよ、とか言ったという。
 僕は、そのフランス人氏の言葉の指ざしているこの日本に、ひとつの思想的傾向を帯びるや否やあの莫大な財産を清算したかつての有島武郎氏を思い出した。

 もうひとつ、これも日本的というものであろうか、どうせ食えない時代だから、食えないことを覚悟の上で、文学に精進するのだという作家の心構えだ。そういう心構えはフランスあたりに流行していたのであろうか。そのような作家をいながらにして見せつけられるということは、日本の文学の意気地なさが感じられる。食えない覚悟まで文学のために持たなくてはならぬのだから日本の作家は瘠せ細って死んでしまう傾向がある。食えない覚悟を文学のために持つだけのほんとうの勇気があるならば、食えない時代のためになぜ食う覚悟を持たないで、しかも文学を舐めてばかりいるのだろうか。
 時代が食えない時代だから、食えない覚悟で、文学の消費は、ジイドを舐めヴァレリイを舐め相当に行われているにもかかわらず、その生産面に於ては彼等の比でないと考えられようが、それは仕方がないと答えることによってすますつもりでいるのだろうか。
 ファンク博士はその手記で、仕方がないということを、日本人の特長として挙げていたようだ。
 この時代が、食えない時代であるということを、ほんとうに自覚しているならば、食う覚悟、それは僕みたいにつらの皮を厚くしてまでも持たねばならぬ覚悟なのだ。そうして文…

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