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暴風への郷愁
ぼうふうへのきょうしゅう
作品ID55181
著者山之口 貘
文字遣い新字新仮名
底本 「山之口貘詩文集」 講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年5月10日
初出「毎日新聞」毎日新聞社、1954(昭和29)年9月25日号
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-02-11 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 郷里の沖縄から、上京したのは大正十一年の秋のことであったがその年の冬に、はじめて、ぼくは雪を見た。本郷台町の下宿屋の二階で、部屋の障子を開けっ放して、中庭に降りつもる雪の白さを、飽かずにながめたことを記憶している。南方生れのぼくは、はじめて見る雪のながめに、つい寒さも忘れて『忠臣蔵』をおもい出していたのであった。その後、同郷出身の友人たちに、きいてみると、雪に対するぼくらの第一印象は、誰もが『忠臣蔵』なのであった。ぼくらは、活動写真の忠臣蔵によってしか、雪を知っていなかったからなのである。いまではしかし、上京当時のことをおもい出さない限り、どんなに雪が降ったところで、忠臣蔵をおもい出すことはなくなってしまったのである。
 それから、まもなくのこと、東京というところは、ものごとをバカに、大げさにいうところだとおもった。風が吹くと『暴風』だというので、ぼくなどにはそれがこっけいに感じられたのであった。
 しかし、それが結局は、暴風の名産地である沖縄に生れたところのぼくの東京観なのであって、東京あたりでは、十メートル、二十メートルの風速を『暴風』にしておかないと、暴風と名づけられるような、暴風らしい暴風などないからなのだということがわかったのである。
 事実、沖縄の暴風は、ものすごいもので、五十メートル、六十メートルの奴が吹きまくった。それが、半日や一日ではないのだ。人々は、三日も四日も家屋に閉じこめられていなければならないのである。ぼくの少年のころ、那覇のまんなかにあった大きながじまるの木が、暴風に抵抗できなくなって、その幹のところから折れてしまったことなどあったが、そのがじまるの木は、大人三人ほどでなくてはかかえることのできない大きさの幹をしていたのだ。しかも、この木は、沖縄の木のなかで一番柔軟性のある木なのであって、そんなことから推してみても、どんなに猛烈を極めた暴風であるかはうかがわれるのである。がじまるは熱帯植物で、常緑の喬木で、葉はダ円形、葉肉が厚く、幹や枝から、ひげのように気根を垂れていて、一名榕樹ともいわれている樹なのだ。ぼくの家の井戸端にも、中年のがじまるの木があったが、暴風に身を振り乱している姿を、閉めきった雨戸の節穴からぼくはのぞいていることもあった。沖縄の植物にはその外に仏桑花がある。梯梧がある。福木がある。竜舌蘭、蘇鉄などもある。竜舌蘭や蘇鉄は別として、福木とか梯梧とか仏桑花とかは、暴風にやられてそこらじゅうに青い葉をまき散らした。
 暴風に襲われると、ぼくはよく父のすることを手伝った。物置から、棒や麻縄などを持ち出して来て、雨戸と雨戸に棒を渡して、麻縄でしばりつけた。そうしないと、雨戸が吹っ飛ばされてしまうからなのであった。吹っ飛ばされるのは雨戸のせいではなくて、暴風のせいなのである。なぜなら、本来の沖縄の家屋は、暴風雨を考慮して建て…

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