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私の青年時代
わたしのせいねんじだい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「山之口貘詩文集」 講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年5月10日
初出「社会人」1963(昭和38)年4月号
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-02-17 / 2014-09-16
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 人間は、生れてしばらくの間を赤ん坊と言われ、そのうちに幼年、少年、青年、壮年、老年という順を経て、墓場に永住することになるわけである。このなかで人間にとって一番の人気ある年代は青年時代のようで、青春と呼ばれているのがその時代なのである。幼年や少年にとっては、憧れの的であり、壮年や老年にとっては、またとかえるすべのない思い出なつかしい時代として、どの世代の人間からも、愛され拍手を浴びているのが青春時代なのではなかろうか。その意味では、青春をどのようにして生きて来たか、あるいは生きているか、または生きたいかということが、おそらくだれもの関心事であることに違いないのである。
 さて、世間並には、ぼくにも青春というのがあるにはあった。あるにはあったと言うことは、よき青春であったかどうか、またよき青春とはどんなものかについては自信をもって語ることが出来そうもないからなのである。
 ぼくの生地は、沖縄である。沖縄と言えばなにも威張って言うのではないが、太平洋戦争とか言われているところの甚だみっともない戦争のために、かつて世界の史上になかったと言われるほどの犠牲を払った島として、一躍世界にその名を知られ、現在は米国の極東基地として、異民族の支配下にある一部の日本なのである。つまり沖縄県なのだ。ぼくはその沖縄県の那覇市の生れで、那覇市は戦前の県庁所在地、現在は米国民政府と琉球政府と、日本政府の出先役所である那覇日本政府南方連絡事務所との所在地なのである。ぼくは明治三十六年の九月にその町に生れた那覇人で、沖縄流の発音でナフヮンチュである。つまり、ナフヮが那覇で、チュは人のことである。ついでに、本名は山口重三郎であって、幼名をサンルーと呼ばれていたが、つまり三郎のことなのである。
 県下では那覇の東北へ一里の首里に第一中学校があった。いわゆる名門校である。ぼくの学んだ小学校は、甲辰尋常小学校で、六年生になると一中への受験準備をしなくてはならなかった。ぼくは優等生だったので、担任の先生も家族も一中への入学をきめ込んでいたらしいのだが、その期待を見事に裏切って落第し、家の中を憂欝なものにしてしまった。受験準備のつもりで、毎日机に向っているのであったが、頭のなかには一つ年下の少女の顔があるばかりで、勉強のはいる余地がなく、受験準備をしているふりで通した結果なのであった。
 とは言っても、落第はぼくにとってもショックで、頭のなかの少女もたちまち掻き消されてしまって、次のときは受験準備も順調に進み、高等科一年をすませて一中への進学を遂げたのであった。すると、すぐにぼくは注意人物としてチェックされたのである。先生方の閻魔帳に記されたぼくの氏名には、赤い△印がついたのである。と言うのは、ぼくと同姓の山口校長の修身の時間に修身の教科書を衝立にして居眠りしてしまったからなのであった。居眠りをし…

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