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水不足
みずぶそく
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第十二卷」 福武書店
1985(昭和60)年7月30日
初出「改造 第七巻第十号」改造社、1925(大正14)年10月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者山村信一郎
公開 / 更新2013-12-05 / 2014-09-16
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この土地には水が缺乏してゐる。震災後は殊にひどくなつた。地盤が動搖して水脉が狂つたのか、多くの井戸が涸れてしまつた。昔から、どんな旱魃が續いた時にも、水量の減じたことのないと云はれてゐた山ノ手の大井戸でさへ、一月十五日の二度目の大地震のためにすつかり調子を狂はせて、稍々もすると、乾枯びた底を見せるやうになつた。他所の井戸で貰ひ水の出來ない家では、夜の明けないうちから、汲みに出掛けた。
 雨の少なかつた去年の冬から此年の春にかけては、下町にある四五軒の湯屋は屡々休業した。辛うじて營業を續けてゐた家でも、時間を縮めたり湯水を惜しんだりした。それで、清潔な湯に氣持よく入りたい者は、汽車に乘つて平塚まで入浴に行くやうになつた。
「冬だからまだどうにか間に合つてるが、夏場に大勢の避暑客がやつて來たらどうするだらう?」と、私は氣遣つてゐた。
 私の家には井戸がなかつた。何時まで此處に住むか分らないのに、借りてゐる地所に井戸を鑿るのは馬鹿げてゐるし、ことに私の家の建つてゐるあたりは、地下が岩石なのだから、井戸の鑿賃が高い上に、鑿つても水が出るか出ないか、はつきり分らないと云はれてゐた。しかし、下が岩石で固められてゐたからこそ、あの激震に會つても家屋の崩壞を免れて、生命を全うすることが出來たので、さう思へば水の不自由なくらゐは忍んでもいゝのであつた。
「水が充分にありさへすれば、この土地もいゝんだけれど。」と、妻はつねに零してゐた。水に富んでゐる土地から來た知人にも屡々訴へた。
 私だち夫婦はたまに東京へ行つて、水道の栓を捻つて、有りあまる奇麗な軟い水が涌き出るのを見ると、貧人が急に富豪になつたやうに感じて、他人には分らない有難さを覺えて、その水に親しんだ。そして、湯屋などで都人士が、湯水を濫費してゐるのを見ると、勿體ないことをすると思つたりした。
 移轉當時、妻の機轉で、浴室に大きなタンクを造らせて、屋根から雨水を引くことにした。「大島のやうですな。」と、水汲人夫が冷かした。一荷いくらの水代を拂ふのは、洗濯好きの主婦のゐる私の家は、米代よりも水代が嵩張る譯なので、天水の利用はいゝ思ひ付きであつたのだが、その代り、大雨が降り出すと大變だ。夜中にでも飛び起きて、タンクに淀んでゐる古水をかひ出さなければならない。タンクが溢れると、浴槽へうつさなければならない。この機會にて、洗濯に取り掛らなければならない。空樽にでもバケツにでも洗面器にでも、滿々と水を湛へて、我々は一安心するのである。…………我々は水については、どれほど神經が過敏になつてゐるか知れない。
 移つて來た最初の夏、久しく雨が止絶えてタンクが涸れて、汚れ物が大分溜つたので、妻は近所の共同井戸へ行つて、二三枚の浴衣を洗濯した。私も汲み立ての冷たい水でサイダや果物などを冷やすために、バケツで二三杯汲んで來たが、すると、薄…

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