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月を見ながら
つきをみながら
作品ID55190
著者正宗 白鳥
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆58 月」 作品社
1987(昭和62)年8月25日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-01-16 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 縁側に蹲んで、庭の樹の葉の隙間から空を仰ぐと、満月に近い月が、涼しさうに青空に浮んでゐる。隣家から聞えて来るラジオは流行唄を唄つてゐる。草叢には虫の音が盛んで、向うの松林には梟が鳴いてゐる。さういふいろ/\な物音を圧し潰さうとするやうに、力強い波濤が程近いところに鳴つてゐる。
「あの月は旧の七月の、本当の盂蘭盆の月だな。」
 私はさう思つて、ひとり静かに初秋の夜を楽んでゐたが、いつとなしに、幼い頃の故郷の七夕や盂蘭盆の有様が思ひ出された。この季節は、幼時の追憶のうちでも最も懐しいもので、私の心は深い感化を受けてゐるのである。三四十年前のことであつても、風俗習慣が目まぐるしい変化を続けてゐる日本の現代では、一世紀も二世紀も昔の事のやうに思ひ做される。僻陬の故郷でも、今はあの頃の風習は影が薄くなつて、遠海へ出稼ぎに行つてゐる漁夫の帰郷の季節を盂蘭盆と名づけるに過ぎないらしい。七夕の竹も立てなくなつた。盆踊りは近年全く止めになつて、その代りに素人芝居をやつたり活動写真を催したりするやうになつた。
 昔、私達は老いたる下男に連られて、寺の藪へ七月竹を切りに行つた。そして、二三日がゝりで書いて置いた、薄つぺらな色紙や短冊を紙縒で二本の竹に結へつけて、庭に立てた。短冊の文字の多くは、曾祖父が編纂して自費出版をした『七夕狂歌集』から撰んで写したのであつた。茄子で馬をつくつたり、玉蜀黍や胡瓜や大角豆などをいろいろな形にして集めたりして、小机の上に乗せて、七夕様に供へた。煎豆を重箱に詰めて置いて、七夕祭を見に来る村の子供に一握りづゝ施すのが常例になつてゐた。夜が更けると井戸で冷した西瓜を皆して食べた。
 盆の精霊祭や墓詣りは、祖母の指図に従つて私達は神秘的興味をもつてよく勤めた。十五日の夜満潮が波戸場の岸を浸す頃を見計らつて、私達は蓮の葉に盛つた供物と共に精霊棚を流した。それが波に漂うて次第に沖の方へ遠ざかつて行くのを月の光りで見てゐると、霊魂の世界が幼心に空想された。御先祖は、盆の三日間供養したあとでお墓の中へ送り返し、精霊棚で祭つた無縁の亡者は海上へ送り出すのだと、祖母は云つてゐた。
「海へ流されて、しまひには何処へ行くのぢやらう。」
 私は、無数の霊魂が海上に浮び海底に沈むことを思つて、月夜の海に対して無気味な感じを起した。
 海端の住吉神社の境内では、宵から夜中までも踊りがつづくので、宵のうちは崩れ勝ちな踊りの輪も夜が更けると、子供が去つて、熱心な男女ばかりが残つて、調子が揃つて、手の音、足の音、音頭取りの唄声が、私の寝床まで快く響いて来るのであつた。故郷の盆踊りは手振が単純なので、私なども、幼い頃にはそれをよく覚えてゐた。一二度踊り仲間に加つたことさへあつた。
 二十歳前に上京してからは、故郷の踊りも他所の踊りも見る機会は全くなくなつたのであつたが、ある年、――今…

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