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醉ひどれ船
よいどれぶね
原題LE BATEAU IVRE
著者
翻訳者上田 敏
文字遣い旧字旧仮名
底本 「上田敏全訳詩集」 岩波文庫、岩波書店
1962(昭和37)年12月16日
初出「上田敏詩集」玄文社詩歌部、1923(大正12)年1月10日
入力者川山隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2012-12-18 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

われ非情の大河を下り行くほどに
曳舟の綱手のさそひいつか無し。
喊き罵る赤人等、水夫を裸に的にして
色鮮やかにゑどりたる杙に結ひつけ射止めたり。

われいかでかかる船員に心殘あらむ、
ゆけ、フラマンの小麥船、イギリスの綿船よ、
かの乘組の去りしより騷擾はたと止みければ、
大河はわれを思ひのままに下り行かしむ。

荒潮の哮りどよめく波にゆられて、
冬さながらの吾心、幼兒の腦よりなほ鈍く、
水のまにまに漾へば、陸を離れし半島も
かかる劇しき混沌に擾れしことや無かりけむ。

颶風はここにわが漂浪の目醒に祝別す、
身はコルクの栓よりも輕く波に跳りて、
永久にその牲を轉ばすといふ海の上に
うきねの十日、燈臺の空けたる眼は顧みず。

酸き林檎の果を小兒等の吸ふよりも柔かく、
さみどりの水はわが松板の船に浸み透りて、
青みたる葡萄酒のしみを、吐瀉物のいろいろを
わが身より洗ひ、舵もうせぬ、錨もうせぬ。

これよりぞわれは星をちりばめ乳色にひたる
おほわたつみのうたに浴しつつ、
緑のそらいろを貪りゆけば、其吃水蒼ぐもる
物思はしげなる水死者の、愁然として下り行く。

また忽然として青海の色をかき亂し、
日のきらめきの其下に、もの狂ほしくはたゆるく、
つよき酒精にいやまさり、大きさ琴に歌ひえぬ
愛執のいと苦き朱みぞわきいづる。

われは知る、霹靂に碎くる天を、龍卷を、
寄波を、潮ざゐを。また夕ぐれを知るなり。
白鳩のむれ立つ如き曙の色も知るなり。
人のえ知らぬ不思議をも偶には見たり。

神祕のおそれにくもる入日のかげ、
紫色の凝結にたなびきてかがよふも見たり。
古代の劇の俳優が並んで進む姿なる
波のうねりの一列がをちにひれふるかしこさよ。

夜天の色の深みどりはましろの雪のまばゆくて
靜かに流れ、眼にのぼるくちづけをさへゆめみたり。
世にためしなき靈液は大地にめぐりただよひて
歌ふが如き不知火の青に黄いろにめざむるを。

幾月もいくつきもヒステリの牛小舍に似たる
怒濤が暗礁に突撃するを見たり、
おろかや波はマリヤのまばゆきみあしの
いきだはしき大洋の口を箝し得ると知らずや。

君見ずや、世にふしぎなるフロリダ州、
花には豹の眼のひかり、人のはだには
手綱のごとく張りつめし虹あざやかに染みたるを、
また水天の間には海緑色のもののむれ。

海上の沸きたちかへる底見ればひろき穽あり、
海草の足にからみて腐爛するレ[#挿絵]ヤタン、
無風のもなかに大水はながれそそぎて、
をちかたの海はふち瀬に瀧となる。

氷河、銀色の太陽、眞珠の波、炭火の空、
鳶色の入江の底にものすごき破船のあとよ、
そこには蟲にくはれたるうはばみのあり、
黒き香に、よぢくねりたる木の枝よりころがり落つ。

をさなごに見せまほし、青波にうかびゐる
鯛の族、黄金の魚くづ、歌へるいさな。
花と散る波のしぶきは漂流を祝ひ…

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