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折々の記
おりおりのき
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「折々の記」 六興出版
1953(昭和28)年12月25日
入力者川山隆
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-09-23 / 2014-09-16
長さの目安約 453 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

折々の記





世の“名ヅケ子”


 子が生まれる。子の命名が夫婦話題の悶着になる。いや、生まれない前からといつてよい。最初の子をもつ夫婦ほど、事は重大に考へられるらしい。思案にあぐねて、知己先輩へ「ひとつ、子どもの名を」と、世の幸福者に選ばれた人間のやうに、相好くづして、もちこんで來る良人もある。
 ぼくなども、頼まれてはつい、世の幾十人もの、あかン坊たちのために、名づけ親となつて來た。うれしい煩瑣と輕い責任を感じるものである。戰前、ある婦人雜誌では、あかン坊の命名サービス欄を設け、各界の名士を名づけ親係りに依囑し、讀者の好評をはくしたこともあつた。菊池寛などもそのひとりだつたが「ぼくは人にやらせておくよ」と、この課題では代作を公言し、そして「誰かにたくさん書かせておいて、その中にいゝ名があつたら、小説の中の人物につかふために、ぼく、取つておくよ」と笑つてゐた。命名なんていふ“聖なる仕事”を大量生産にすれば、かうなるのは當然である。
 個人同士のばあひは違ふ。多少の祝福感と責任の分け合ひを、ぼくは感じる。ぼくのばあひは、色紙を一枚ふんぱつして、選名の文字と、誕生の年月日に、祝ひの言葉を二、三行書いて上げるのを例としてきた。
 そんな事も、初めは、人樣のお子であり、未來を豐富にもつ新しい生命にたいして、自分の丁重さを表示するための思ひつきに過ぎなかつたのだが、年とともに、わが“名ヅケ子”が社會に殖えてゆくに從ひ、じつは名づけ親のぼくが、徳をしてゐた事にも氣づいた。
 つまり、結果だけをいへば、それらの“名ヅケ子達”が成人した後、自分の選名者が、社會の惡徳漢であつたり、詐欺漢であつたりしたら、さだめし我が名に不潔を感じるだらうと思はれ、そのためにも、名づけ親は、名ヅケ子にたいし、惡人にならない心がけを持つ一つの支へをうけてゐたと云へるからである。
 また偶然。酒席かどこかで、かりの名づけ親が、その子の親に久し振で會つたりすると、何のあいさつよりも先に、かう、ひとりでに口から出るのだつた。
「どうだい、君んとこのあかン坊は、丈夫かい」
「冗談ぢやありませんぜ、もう本年は學校ですよ」
 とにかく日本人は名まへに凝る。そのため、漢字制限のワクと戸籍係りを相手に、世の親たちの物議もあつた程だが、ぼくの家へよく來てゐた某社の若い記者などは、子の生まれる數ヶ月前から、手帖の間に、その漢字制限表をはさんでおいて、奧多摩電車の中では、それを考へることにしてゐると云つてゐた。源實朝ではないが、まことに、――あはれなるかなや親の子を思ふ、である。
 幼少の頃、ぼくが覺えてゐるぼくの父の選名法は、さうして考へた名を、お七夜の朝、幾つも紙に書いて、コヨリにし、神だなに上げて、いちばん小さい子供にその中から一本引かせる方法だつた。つまり籖引きである。
「高イ/\」の恰好で、父親に…

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