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美しい日本の歴史
うつくしいにほんのれきし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「吉川英治全集・47 草思堂随筆」 講談社
1970(昭和45)年6月20日
初出「週刊文春」1959(昭和34)年
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-07-06 / 2014-09-16
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

鼻の白粉

 一夜、ある映画館で私はつい飛んでもない自分の阿呆をあたりのつつましい観客たちに暴露していた。人気者のユル・ブリンナー主演の「大海賊」を観ているうち、誰もがシュンとしていたラストの恋人との別れのシーンへ来てつい私はクツクツ笑いが止まらなくなってしまったのだ。
 主役の海賊のブリンナーが恋人の胸をつき放して言いつづける。『祖国のない海、定住のない海。君は連れて行けない』『君は残れ。愛すればこそ、永遠に愛すればこそ、君を連れて行くわけにはゆかないのだ』。どうもお古いセリフである。
 だが私は、それでおかしくなったわけではない。ちょうど時代もこの映画が扱っている十八世紀ごろの日本にあった一組の男女を思い出して、つい二重唱に画面を観ていたせいなのだった。では日本版のそのラヴ・シーンとは何かというと、大ざっぱに言って、幕末維新の先駆をなした天誅組の首領、藤本鉄石(真金)にこんな一話があったのを、書名は忘れたがふと思い出したのである。
 淡路島の洲本に、廻船や穀問屋などしている旧家があり、当時、志士達のパトロンだった。鉄石も西遊中に、長らく滞留していたことがあって、その洲本屋の娘に絵など教えているうちついいい仲になっていた。しかしその後、いよいよ天誅組一味の大和旗挙げの機も熟したので、鉄石は淡路へ渡って、旧恩のある洲本屋へそれとなく別れを告げ、そして一晩はそこに泊った。
 すると翌朝、いざ立ち際になると、前夜は得心していたはずの娘が俄に泣きみだれて、どうしても一しょに連れて行けといっておさまらない。鉄石も弱ったろうが、然し四十男の彼でもあった。
『よしよし、泣け泣け、連れて行く連れて行く』
 子供をあやすように泣きじゃくる恋人の背を撫でてやった。
『ほんとに』
 と、彼女はうれしげに涙を拭いた。鉄石は大きく『うん』と、うなずきながら、なに思ったか、彼女の鏡台の白粉ツボへ指を入れて、自分の鼻の頭へその白い物をすこしくッ付けて見せた。娘はハッとしたきりで言うべき言葉も出て来ない。そのすきに男はもう座を去って言い捨てていたという事である。
『いいだろ、こうして連れて行けば。――どこまでもお前の匂いは忘れッこないよ』
 この話を、私は総天然色の大がかりなセシル・B・デミル指揮の現代版へ二重写しとして観ていたものだから、何ともはやユル・ブリンナーの藤本鉄石も不粋なでくの坊に見えて手が届くものなら彼の野暮にシャチコ張ッた鼻の頭へ白粉をつけてやりたくなっていたのだった。
 松ニ古今ノ色ナシというが、どうもお約束のラヴ・シーンや別れの会話などになると、男女の古今も洋の東西もないらしい。その中では鉄石の別れかたなど愛情の東洋的表現ではあるがユーモアで気がきいている。後人の作話かもしれないが、作話とすればなお秀逸の方だろう。近代人のドライでもここまでのドライと救いの両方は持ちえ…

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