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小説のタネ
しょうせつのタネ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「吉川英治全集・47 草思堂随筆」 講談社
1970(昭和45)年6月20日
初出「文藝春秋」1957(昭和32)年11月号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-07-16 / 2014-09-16
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

鳴門秘帖のころ

 いま帰って来たばかりなんですよ。大映の試写室で、「鳴門秘帖」を見たんですがね。考えてみると、あれを書いたのは三十年前なんだな。てれましたね、たいへんに。映画化は今度で七回目なんです。はなはね、ひと頃の競映時代で、東亜キネマとか、松竹日活だとかで、さんざん競映でやったもんですよ。だが僕は、正直いうと、自分の古いもんの映画化は、ほとんど見たことないんです。少々気味がわるくってですね。だがあの頃は一つの新聞小説勃興期でもありましたなあ。三十年前だから、今度の終戦後に興った機運とはまた違うしね。いわば関東大震災を境にしたものさ。文芸でも何でも、復興期には復興機運の波が起るんだね。当時もロマンと興味追求のああしたものが、ちょうど沢田正二郎君が新しい剣の味を舞台に見せてうけた風潮などと共に一頃非常に盛んだったわけです。その一例が「鳴門秘帖」やまた同時に掲載され出した大仏次郎氏の「照る日曇る日」なんかだったわけですね。そして僕なんかも、まだ無名の駈け出しでしたし、年も三十三、四歳でしたかな。それを僕に書かせたのは阿部真之助氏で、その大毎にはまだ千葉亀雄氏がいた時分ですよ。けれど、社から伝言の人が来たとき、僕は驚いて、たしか断ったと思いますよ。
『とても、そんな大新聞に。自分なんかには、大任過ぎる』
 と、真正直にかしこまって断ったもんですよ。
 夏でしたがね、ちょうど、日頃よく僕のうちへ遊びに来る木彫家の伊上凡骨が、隣りの部屋で、昼寝していたんです。そいつが、あとでむっくり起きてきて、
『断るやつがあるもんか、絶好のチャンスだよ、書けよ、書けよ』
 と唾を飛ばしてさかんにケシかけてくれたのを覚えています。それで、とにかく、おっかなびっくり始めたのが、あの「鳴門秘帖」の書き出しですよ。
 吉井勇氏におあいすると、よく凡骨のはなしをしますが、あれは珍重すべき畸人でしたね。長谷川如是閑さんがよくいう職人の伝統をもっていた男でもあったし、とにかく変っていて、僕の上落合の家へ遊びに来ても、喘息が持病なので、どうかすると、十日も半月もゴホンゴホンやりながら泊っている。そして、無類のぜいたくで、朝寝坊と来ているから、起きると、手を叩いてうちの女中へ『ねえさん、今朝は納豆がいい』とか、朝から、何を買ってこいとか、言っている。だから台所へくる御用聞きなどが、凡骨がいないと、
『今日は御隠居さまはお留守ですか』
 と言ったりしましたよ。その凡骨にベンタツされて初めての新聞小説をひきうけたんですから、およそ僕にそんな用意も野望もなかったことがわかるでしょう。
 そこでまあ、書きだしたもんの、正直夢中でしたね。まず予告のタイトルを社へ渡すと、千葉亀雄さんから、「鳴門秘帖」の“帖”は“帳”の間違いだろうといって来られた。間違いじゃない“帖”ですと言うと、あの人のことだから、イヤ…

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