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比較神話学
ひかくしんわがく
作品ID55276
著者高木 敏雄
文字遣い新字新仮名
底本 「比較神話学」 帝国百科全書、東京博文館
1904(明治37)年10月17日
入力者幡野恵子
校正者幡野光
公開 / 更新2016-08-07 / 2016-08-10
長さの目安約 355 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 欧羅巴に於ける神話学の研究は、嘗て所謂比較神話学派の勃興せし当時に於て、甚しく隆盛を極めし反動の勢未だ止まずして、現今に於ては、寔に微々として、甚振わざるの観なきに非ず。然れども、これ表面の観察のみ。趣味多面の欧羅巴学界は、決してこの興味ある学科の研究を等閑に附せしには非ず。自然科学万能主義の時代は既に去りて、人文科学の研鑚は、今や旭日東天に昇るの勢を以て、進歩しつつあり。人文科学の一分科としての神話学の研究は、今日に於ても尚、依然として行われつつあり。唯その外観に於て、往日に於けるが如く、人目を惹くことの著しからざるのみ。
 翻て、明治の学界に於ける、斯学の研究の状態を見よ。明治の人文科学は、果してその凡ての方面に於て、完全に発達しつつありや。著者は、之に答えて、直ちに然りと答うる能わざるを憾む。人文科学の範囲は、極めて広大なり。その分科として数え得可きもの、亦た実に少からず。然れども、明治の学界は、その各の学科に関して、少くとも若干の専門的著述を有し、各の分科はまた、其研究に従事する専門の学者を有す。独りわが神話学に関しては、二十世紀の今日に及ぶも、未だ之に関する唯一個の著述だも出でず、専らその研究に従事する、一人の学者も之なきは、決して明治学界の名誉たる所以に非らざるべし。
 欧羅巴に於ては、神話学の発生は、古代文献学の研究に負う所頗る多し。歴史は屡ば、同じ事を繰返す。日本に於ても亦た、神話学は同様の経路をとりて、発達す可かりしが如し。顧みれば既に十余年以前、日本古代史の研究甚だしく隆盛を極めし当時に於て、神代史研究の必然の結果として、日本神話の研究も亦たまさに、其萌芽を発せんとしつつありしなり。不幸にして、云うに忍びざる或事件の発生によりて、神代史研究の発達に、一頓挫を来せしより、学者亦た再び神代史に就て議論せざるに至り、惜いかな、神話学は遂に発生するに至らずして止みぬ。欧羅巴の文学の研鑚は、古代並びに中世の文化民族の神話の知識を予想するが故に、かの文学の研究の、次第に我国に於て盛なるに従い、かの神話の知識も亦た、聊か普及せしが如く見ゆるも、実際に於ては、この知識を有するものは、少数の熱心なる研究者に止まり、多数の者は殆んど云うに足らず。かの少数者もまた、唯僅かに、泰西の神話の知識を、有するを得たるのみにして、未だその研究に興味を有するに至らず。学者は唯奇禍の其身に及ばんことをのみ恐れて、祖国の神話に関して、全く顧みることなく、之に対して極めて冷淡の態度を取れり。
 此の如きこと、殆んど十年の久しきに及べり。
 明治三十二年の春に至りて、故高山樗牛の筆に成れる日本神話に関する、一個の小論文、突如として『中央公論』に出でたり。同じ年の夏、姉崎嘲風『帝国文学』紙上に於て、素盞嗚尊の神話を論じて、併せて樗牛の論文を評す。同じ年の冬、嘲風の論文中の…

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