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再び「科学の歴史的社会的制約」に就いて
ふたたび「かがくのれきしてきしゃかいてきせいやく」について
副題――岡邦雄氏に答える――
――おかくにおしにこたえる――
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 別巻」 勁草書房
1979(昭和54)年11月20日
初出「東洋学芸雑誌」1930(昭和5)年3月
入力者矢野正人
校正者Juki
公開 / 更新2012-08-21 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

『東洋学芸雑誌』一月号で発表した私の文章、「科学の歴史的社会的制約」に対して岡邦雄氏は、本誌二月号に於て至極公明な態度を以て、批判を下した。氏は可なり根本的な点で、私が述べたいと欲した処を、私の欲するようには受け取らなかったに拘らず、氏が下した批判は充分な意味を有っている。何故なら氏の疑問とした点は、恐らく氏以外の人々によっても私に向って発せられるであろう問題に、関係しているからであり、それに又、此等の点は恰も私自身が最も積極的に主張したい処にぞくするからである。故に私は岡邦雄氏に答える正当なそして又客観的な責を負うものである。「」内は凡て、岡氏自身の、又は氏が引用した限りの私の、言葉である。



 氏はこう云う。「今自然科学を現段階に於て考えれば、自然科学は物理学に対して劣位にある多くの諸科学を含み、それ等の総体が今の自然科学なのであり、」その内には必ずしも物理学のようには、時間を空間化された一つの次元として使用していないものもある。それ故「自然科学」を考えるには、その「代表」たる物理学を以てすべきではなくて、全体の平均とも云うべき、「中位概念」を以てすべきものである。処がこの中位的な自然科学概念に就いて云えば、そこではもはや物理学というような代表的な場合とは異って、「時間が歴史性に於て使用されない」とは云われない。即ち一般に自然科学が「現段階的には階級性を有たないと論断」することは出来ない。即ち第四階梯の階級性が自然科学に拒まれる理由はない。――之が、一、に於ける氏の主張の中枢であるようである。
 ここでは私が使った二つの言葉、代表と現段階、に就いての誤解が釈明されるべきである。代表とは多数の事物の総体がその部分によって云い表わされることであると云って好い。この部分のもっている性格が、それ故、この総体のもっている性格として通用する時、かかる性格が総体を代表する処の、総体の及び又かの部分の性格なのである。従って吾々が一般に自然科学という多数の諸自然科学の総体が何であるかを突き止める為めには、即ち自然科学一般の性格を把握するためには、それを代表する処の或る種の自然科学を把握すべきであって、中位概念的なる又は其他のものを取り出すべきではない。こういう時に取り出される責任者をこそ代表者と云うのであるから、そこでもし自然科学の代表者が物理学であるということを承認すれば、自然科学を一般に取り扱うに際して何故物理学を標準として好いか、又そうしなければならないか、も亦同時に承認されたこととなる。実際人々が自然科学をば歴史的、文化、精神、諸科学から典型的に(代表的に)、区別するために、物理学を一方の標準としたのは、全くこの理由に基く。物理学を以て自然科学を代表せしめることは、従って、時には「寛大」を意味し、又場合によっては「その反対」を意味することもある。無論今は吾々…

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