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範疇の発生学
はんちゅうのはっせいがく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 別巻」 勁草書房
1979(昭和54)年11月20日
初出「法政新聞」1931(昭和6)年7月4日
入力者矢野正人
校正者Juki
公開 / 更新2012-08-21 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 我国の暫く前までの学界情勢では、カント流の範疇が範疇の代表者と考えられていた。それはアリストテレスの判断表から、そしてアリストテレスの判断表は文法から、引きだされたものだといわれている。とに角カントはそれを形而上学的(哲学的)に演繹したものである。だから範疇はここでは先験的に十二という数に限定されて了っている。存在に関する可能的、経験の論理的予件、というような固定した条件を範疇が意味した限りそうなるのが当然であった。だが範疇は元来、アリストテレス自身によれば、様々な言表の根本的な型であった。その数はなる程略々十個程数えられているが、それを十個に限らなければならない理由は必ずしも無かったのである。範疇が言葉のもっとも基本的な理論的機能を意味した限り、そして言葉が人間の生存の諸条件と共に移動する限り、それを絶対的に固定して了うことの出来ないのが当然である。
   *
 一体言葉は、それが客観的に通用するためには一応固定されねばならないが、しかしそれが常に変化し発展して行く存在をいい表わすためには絶えず変更されて行かねばならない。そういう矛盾した制約を持っている言葉は、系統的な変化を持つものなのである。(ここに言語学の科学的地盤がある。)範疇もまたそうであって、単にそれが一方において固定した結節点であると同時に他方において変化の飛躍点であるばかりではなく、それ自身が固定していながら次第にその形を変えて行かねばならない性質を持っている。丁度それは氷河の流れ方によく似ている。存在という岩壁の溝に篏められながら、範疇という氷塊は、必然の圧力と重力とによって岩壁をこすりながら歴史の床を下って行くのである。範疇は常に歴史の所産であり、系統的な発生物である。それは発見又は発明され、そして使い減らされて行く所の、思惟の道具に外ならない。(ここに範疇論の科学的地盤がある。)
   *
 範疇が系統的発生を持つから、例えば古代的範疇と近代的範疇との間には、その発生過程の歴史を抜きにしては、直接の共軛がない。従って、現在の我々の世界を理論的に把握するために、もし古代的範疇を用いようとするならば、そこでは、丁度古典語を現代語に翻訳するように、範疇の翻訳が必要である。そうしないと現代的な世界観が出来上らない。所が系統発生が実は個体発生において繰り返されているように、古代的範疇は近代的範疇と同時代に共存しているのが事実である。そこで古代的範疇がそのまま例の翻訳の手数を省いて、現代の世界観のための範疇ででもあるかのように思い誤られるのは無理もない。翻訳の媒介を経ない直接態におけるこの同一視は、又逆に古代的範疇を近代的範疇に当てはめて理解する態度ともなって現われる。そこで折角の歴史の媒介は無用となり、歴史の車輪は空転したこととなる。まず第一に範疇のこういう誤った使用法を、我々は一つの反動と名…

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