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折々の記
おりおりのき
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「折々の記」 一家言叢書、全國書房
1942(昭和17)年5月10日
入力者川山隆
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-11-13 / 2014-09-16
長さの目安約 275 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




ことばは少く、文はみじかいほどがよい。
しかも意ふかく、餘韻あればなほさらよい。しかるに至らざるわたくしの如き、とかく冗語多く筆をもてば更に長きに失し易い。ここにはその無用をのぞいて簡を旨としたつもりであるが、もとより菜園の新味あるではなく、珠中より珠を拾つたものでもない。一書にまとめるこころもなく、あちこち稿勞の餘暇に書きこぼした[#「書きこぼした」は底本では「書きこほした」]寸想寸墨に過ぎない。しかもきのふのことば今日にあたらず、今日の言もあしたの示唆になるほどのものあるやいなを自ら疑ふ。一家言叢書のうちに架せられれば、人或は著者の一家言なりやともするであらうが、僕なほ一家を成すにいたらない者、何ぞ一家の言あらんやである。ただ青年馬上の語も時には君子の窓簾を捲くにも足らんか。正直、そんなこころもちである。
著者
[#改丁]
[#ページの左右中央]


時感



[#改丁]


女性の力

 雪を想はす年の暮になると、毎年かならず赤穗義士が語り出される。映畫に、劇に、書物に、ラヂオに、また爐邊の人々のあひだに。
 鹿兒島縣地方では、江戸時代から毎年十二月十四日には、青年子女が各所に寄つて、義士の苦節を偲ぶため、終夜冷たい床に坐つて、義士倫講會をすることが、今でも、年中行事のひとつとなつてゐるさうである。
 四十七人の生命が、日本の精神文化に貢獻したことは實に大きい。それは現實社會が科學的になればなるほど、一面、失つてはならないものとして、その價値と光燿を昂めてくる。
 いまや澎湃たる太平洋の風雲をゆくてに臨みながら、全土一億の民衆の――この際の心がまへに少しなりと顧みてみたい。
とび込んで手にもたまらぬ霰かな
 これは大高子葉(源五)の句のやうにいはれてゐるが、富森助右衞門の句で、討入のとき、槍じるしの短册に書いて、敵中へ突入して行つた彼の心懷であつた。
 覺悟、といふ心境を、これほど清々しく、さつぱり云ひ放つたことばはない。好漢まだ三十三歳、早くもここを死にどころと見極めて、軍人訓のうちにも見えるいはゆる「生死觀」の眞諦に徹して、血と粉雪にまみれ入つた彼のすがたが眼に見えるやうである。
 助右衞門の句には、このほか、細川邸へ預けられて、元日を迎へたときのものに、
けふも春恥かしからぬ寢臥かな
 と詠んだのがある。――やるべき事はやつたぞといふ氣持。何とおほらかではないか。
 大高源五の句としては、
日の恩やたちまち碎く厚氷
 が有名である。自分の功もいはず、何事も日の恩と觀じてゐるところがゆかしい。
 いつたいに義士たちの辭世や壯擧前後の歌句には秀吟が多い。嘘でないからである。たましひを搏つ眞實があるからである。
 間喜兵衞の辭世、
草まくらむすぶ假寢の夢さめて常世にかへる春のあけぼの
 も私の好きな一つであるが、原惣右衞門の一首、
かねてより…

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