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社大党はファッショ化したか?
しゃだいとうはファッショかしたか?
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 第五巻」 勁草書房
1967(昭和42)年2月15日
初出「日本評論」日本評論社、1937(昭和12)年12月号
入力者矢野正人
校正者Juki
公開 / 更新2012-11-02 / 2014-09-16
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 初めに断わっておくが、私はごく最近社会大衆党に這入った一党員である。その限り一応党是に服し党の指導方針を尊重すべきであるのは、常識である。と共に党内に於ける党批判の自由は、そのデモクラシーの建前によって、又私の権利である。だが今私は党内に於ける批判をやるのではない。本誌は党と無関係であるから、ここで述べることは党内的な意見ではない。
 併し社会大衆党は、大衆の政党である。云って見れば、一切の日本国民が之に参加出来る筈のものであり、形式的にはそういう可能性を排除出来ない理屈だ。従ってその党員は、特別に党内の特定部署を代表する者でない限り、常に一介の市民としての平均的な資格を、党内外に於て保持し得るものであることを、私は信じる。一介の党員である私が、党外に立って、即ち本誌に於て、一市民としての見解を述べることに、意義のある所以だ。
 社大党は「ファッショ化」したと往々云われている。併しそれは何を指すのであるか、又何を意味するのであるか。思うに、社会大衆党が一般民衆の政治的に覚醒した部分から多大の期待を持たれているという事情に鑑みると、それの所謂「ファッショ化」という特色づけは、或いはこの期待に対する裏切りの的確な指摘の心算であり、或いは少なくともファッショという合言葉によってこの裏切りを象徴せしめようという心算であろう。いずれにしても社大党に対する不満の声であることは勿論である。政治的に覚醒した民衆の意識的な支持を以て最後の生命としている社大党にとっては、この「ファッショ化」という合言葉(或いは寧ろ出来合いの便宜的用語)によって示される不満は、その言葉の正否に関係なく、重大問題でなくてはならぬ。現に私も亦、社大党の綱要の大きな一つである「ファシズム反対」の建前の故に、この党を支持する決心をしたのである。
 社大党ファッショ化の証拠として挙げられているものは、之を外部から見る限り麻生書記長の言論の処々に散見して何となくその雰囲気を感じさせる民族主義風の定石に近いものや、議会に於ける膨大な軍事予算への積極的な協賛や、又亀井貫一郎氏の所謂「全体主義的」議会演説や、最後に最近の(第三回)中央委員会に於ける「革新政策」の大綱決定や、それ等一切のものに付いて見られる時局追随的な態度と軍部や政府への媚態や、これと関係あるらしく見える政府の各種委員会への欣然たる参加や、等々であろう。かつて近衛首相が各大政党の領袖を招いた挙国一致政策の支持を求めた際、安倍党首が唯々諾々として引き下ったということも、少なからずファッショ化の名を高からしめたようだ。つまり、社大党が時局に際して節を屈したという弱腰がすでにそのファッショ化であり、更にそれが居直ってその革新的積極政策に乗り出そうというのが又、そのファッショ化である、というのである。
 私も亦、この不満とかけ離れた心境にあるとは云うこと…

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