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戦争ジャーナリスト論
せんそうジャーナリストろん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 第五巻」 勁草書房
1967(昭和42)年2月15日
初出「日本評論」日本評論社、1937(昭和12)年10月号
入力者矢野正人
校正者Juki
公開 / 更新2012-10-30 / 2014-09-16
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 戦争が社会の政治的常軌を通行遮断し、典型的な非常状態に置くものであることは、今更改めて言うまでもない。このことは近代的戦争に於ても、古来の又旧来の戦争と較べて、以上でも、以下でもないだろう。原始的戦争が社会を極度の無秩序に陥れるに反して、近代戦の方はもっと秩序的だということは、………………………。なぜなら近代的な社会そのものが、原始的社会に較べて勿論美しく秩序的であり、法的発達を遂げているのだから、近代的戦争も単にこれに照応して、より秩序的であり、云わば文明化されて来るのが当り前なのである。之を以て戦争化そのものがより秩序的になったと云うことは出来ぬ。寧ろ近代戦が、益々……………………………………………………約束していると云った方が当っているのだ。
 産業・交通・資源・其の他の戦線後方の深部にまで及ぶ敵対行動、そこから来る戦闘員と非戦闘員との区別の抹殺などは、それが組織的であればあるほど、発達すればする程、相手国の社会的無秩序の直接原因である。だがそれにも拘らず近代的戦争が自国により一層精密な計画的な広義作戦と広範動員とを要求するのも亦、事実だ。――かくて近代戦は、それが破壊的であればあるほど、近代社会の内部に於て益々組織的な発達を有たねばならず、みずからの法的秩序の発達をさえ持たねばならぬのである。戒厳令組織や各種の動員法が現にそういうものを示している。
 だから近代戦争は実は政治的常軌とそんなに別なものではない、と云った方が正しいだろう。戦争は社会秩序の或る特殊の象面や位相であって、社会秩序以外のものではない。と共に、いつからそして又どこからが戦争で、いつから又どこからが常軌の社会秩序であるかの区別も、近代戦に於ては次第にその絶対性を失って来る。非常時、準戦時、戦時、等々の、常態から異常態への推移の段階は段々稠密となり遂に連続した一本の糸となって来ることは、人の知る通りである。
 さて処で、戦争時局論・軍事論・其の他を含む戦争に関するジャーナリズム(之を戦争ジャーナリズムと呼ぼう)について云えば、之も亦もはや決して孤立した領域をジャーナリズム一般の内に墨守することが出来なくなる。すでに政治外交に関する最も伝統的なジャーナリズムの領地や経済に関するジャーナリズム、又社会乃至文化に関するジャーナリズム、との連関と交錯とを俟たなくては、戦争ジャーナリズムなるものは存在し得ない。であるから最近の日本のような挙国一致的な事変状態に這入ると、一切のジャーナリズムが戦争ジャーナリズムを含まざるを得なくなる。特に純粋な戦争ジャーナリズムというものは、その結果大して意味も内容もないものにならざるを得ない。
 だが、或いはそれ故に、そうだからと云って、一切のジャーナリズムが戦争ジャーナリズムに帰着して了うとか云うことは、云い間違いか考え間違いだ。挙国皆兵だからと云って、凡…

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