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旅の絵
たびのえ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第一卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年5月28日
初出「新潮 第三十年第九号」1933(昭和8)年9月
入力者大沢たかお
校正者岡村和彦
公開 / 更新2012-11-27 / 2014-09-16
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#ページの左右中央]


竹中郁に


[#改ページ]



 ……なんだかごたごたした苦しい夢を見たあとで、やつと目がさめた。目をさましながら、私は自分の寢てゐる見知らない部屋の中を見まはした。見たこともないやうな大きな鏡ばかりの衣裳戸棚、剥げちよろの鏡臺、じゆくじゆく音を立ててゐるステイム、小さなナイト・テエブルの上に皺くちやになつて載つてゐる私のふだん吸つたことのないカメリヤの袋(私はそれを何處の停車場で買つたのだか思ひ出せない)、それから枕もとに投げ出されてゐる私の所有物ではないハイネの薄つぺらな詩集、――さう云ふすべてのものが、ゆうべから私の身のまはりで、私にはすこしも構はずに、彼等の習慣どほりに生き續けてゐるやうに見えた。今しがた見たことは確かに見たのだが、どうしても思ひ出せない變にごたごたした夢も、それまで自分はぐつすり眠つてゐたのだといふ感じを私に與へはしてゐるものの、同時に、まるで他人の眠りを借りてゐたかのやうな氣にも私をさせないことはなかつた。……
 私はベツドから起き上ると、窓を開けに行つた。しかしその窓のそとはすぐ高い石圍ひで、石圍ひの向うには曇つた空と、隣りの庭のすつかり葉の落ち切つた裸の枝先きが見えるきりだつた。が、その窓を通して、しつきりなしに汽船のサイレンがはひつてきた。その聞きなれない異樣な叫びは、自分がいま東京から離れてゐる、目に見えない長距離を、一瞬間、私の目に浮び上らせさうにした。さういふ喧騷の中からひよつくり生れてきかかつた一種の旅愁に似たもの、――私は再び窓を閉ぢた。……
 さうすると今度は、私の背中合せの部屋から、タイプライタアの何かにじやれてゐるやうな音が聞えてきた。が、それはだんだんいらいらしたやうな音に變りながら、すぐ止んでしまつた。私はゆうべこのホテルに着くなりすぐ目に入れたところの、廊下の隅にはふり出されてゐた、錆びかかつたやうなタイプライタアを思ひ出した。――それにしても、一體いまは何時ぐらゐなのか少しも分らない。まだ朝飯は食はしてくれるのか知らと思ひながら、私はボオイを呼ぶために、窓とは反對の側の、ドアを開けてみた。食堂は私の部屋と隣り合はせになつてゐるらしい。そこからは途切れ途切れな話し聲に雜つてときどき皿にぶつかるスプーンやナイフの音が聞えてくる。……しかしそれは誰かがまだ朝飯を食べてゐるのか、それとももう晝飯を食べ出してゐるのか、わからない。……どうも具合がへんだから、私はドアを開け放しにして置いて、もう食堂からボオイが出て來さうなものだと待ち伏せてゐた。
 やつと食堂からボオイが姿を現はした。支那人らしかつた。私は彼が日本語を解するのかどうかを知らなかつたので、英語と日本語をまぜこぜにしながら、
「Breakfast ――まだ出來る?」と聞いた。
「どうぞ――」と言つてボオイは空皿をもつた…

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