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燃ゆる頬
もゆるほお
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第一卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年5月28日
初出「文藝春秋 第十年第一号」1932(昭和7)年1月号
入力者大沢たかお
校正者岡村和彦
公開 / 更新2012-12-03 / 2014-09-16
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は十七になつた。そして中學校から高等學校へはひつたばかりの時分であつた。
 私の兩親は、私が彼等の許であんまり神經質に育つことを恐れて、私をそこの寄宿舍に入れた。さういふ環境の變化は、私の性格にいちじるしい影響を與へずにはおかなかつた。それによつて、私の少年時からの脱皮は、氣味惡いまでに促されつつあつた。
 寄宿舍は、あたかも蜂の巣のやうに、いくつもの小さい部屋に分れてゐた。そしてその一つ一つの部屋には、それぞれ十人餘りの生徒等が一しよくたに生きてゐた。それに部屋とは云ふものの、中にはただ、穴だらけの、大きな卓が二つ三つ置いてあるきりだつた。そしてその卓の上には誰のものともつかず、白筋のはひつた制帽とか、辭書とか、ノオトブツクとか、インク壺とか、煙草の袋とか、それらのものがごつちやになつて積まれてあつた。そんなものの中で、或る者は獨逸語の勉強をしてゐたり、或る者は足のこはれかかつた古椅子にあぶなつかしさうに馬乘りになつて煙草ばかり吹かしてゐた。私は彼等の中で一番小さかつた。私は彼等から仲間はづれにされないやうに、苦しげに煙草をふかし、まだ髭の生えてゐない頬にこはごは剃刀をあてたりした。
 二階の寢室はへんに臭かつた。その汚れた下着類のにほひは私をむかつかせた。私が眠ると、そのにほひは私の夢の中にまで入つてきて、まだ現實では私の見知らない感覺を、その夢に與へた。私はしかし、そのにほひにもだんだん慣れて行つた。
 かうして私の脱皮はすでに用意されつつあつた。そしてただ最後の一撃だけが殘されてゐた。……


 或る日の晝休みに、私は一人でぶらぶらと、植物實驗室の南側にある、ひつそりした花壇のなかを歩いてゐた。そのうちに、私はふと足を止めた。そこの一隅に簇がりながら咲いてゐる、私の名前を知らない眞白な花から、花粉まみれになつて、一匹の蜜蜂の飛び立つのを見つけたのだ。そこで、その蜜蜂がその足にくつついてゐる花粉の塊りを、今度はどの花へ持つていくか、見てゐてやらうと思つたのである。しかし、そいつはどの花にもなかなか止まりさうもなかつた。そして恰もそれらの花のどれを選んだらいいかと迷つてゐるやうにも見えた。……その瞬間だつた。私はそれらの見知らない花が一せいに、その蜜蜂を自分のところへ誘はうとして、なんだかめいめいの雌蕋を妙な姿態にくねらせるのを認めたやうな氣がした。
 ……そのうちに、とうとうその蜜蜂は或る花を選んで、それにぶらさがるやうにして止まつた。その花粉まみれの足でその小さな柱頭にしがみつきながら。やがてその蜜蜂はそれからも飛び立つていつた。私はそれを見ると、なんだか急に子供のやうな殘酷な氣持になつて、いま受精を終つたばかりの、その花をいきなり[#挿絵]りとつた。そしてぢいつと、他の花の花粉を浴びてゐる、その柱頭に見入つてゐたが、しまひには私はそれを私の掌で…

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