えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


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鳥獣剥製所
ちょうじゅうはくせいじょ
副題一報告書
いちほうこくしょ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「富永太郎詩集」 現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年7月10日
初出「山繭 第三号」1925(大正14)年2月
入力者村松洋一
校正者Juki
公開 / 更新2013-11-07 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私はその建物を、圧しつけるやうな午後の雪空の下にしか見たことがない。また、私がそれに近づくのは、あらゆる追憶が、それの齎す嫌悪を以て、私の肉体を飽和してしまつたときに限つてゐた。私は褐色の唾液を満載して自分の部屋を見棄てる、どこへ行くのかをも知らずに……

 煤けた板壁に、痴呆のやうな口を開いた硝子窓。空のどこから落ちて来るのか知ることの出来ぬ光が、安硝子の雲形の歪みの上にたゆたひ、半ばは窓の内側に滲み入る。人間の脚の載つてゐない、露き出しの床板。古びた樫の木の大卓子。動物の体腔から抽き出された、軽石のやうな古綿。うち慄ふ薄暮の歌を歌ふ桔梗色の薬品瓶。ピンセツトは、ときをり、片隅から、疲れた鈍重な眼を光らせる。

 私はその部屋の中で蛇を見た。鷲と、猿と、鳩とを見た。それから日本の動物分布図に載つてゐる、さまざまの両生類と、爬蟲類と、鳥類と、哺乳類とを見た。

 かれらはみんな剥製されてゐた。

 去勢された悪意に、鈍く輝く硝子の眼球。虹彩の表面に塗つてあるのは、褐色の彩料である――無感覚によつて人を噛む傷心の酵母。これら、動物の物狂ほしい固定表情、怨恨に満ちた無能の表白。白い塵は、ベスビオの灰のやうに、毛皮の上に、羽毛の上に、鱗の上に積もつてゐた。

 私は、この建物に近づかうか、近づくまいかといふ逡巡に、私自身の手で賽を投げなかつたことを心から悔いた。が、すべては遅かつた。怖ろしい牽引であつた。私を牽くのは、過ぎ去つた動物らの霊だと知つた。牽かれるのは、過ぎ去つた私の霊だと知つた。私はあらゆる世紀の堆積が私に教へた感情を憎悪した。が、すべては遅かつた。

 私は動物らの霊と共にする薔薇色の堕獄を知つてゐた。私は未来を恐怖した。

さはれ去年の雪いづくにありや、
 さはれ去年の雪いづくにありや、
  さはれ去年の雪いづくにありや、
    ………………………………………意味のない畳句が、ひるがへり、巻きかへつた。美しい花々が、光のない空間を横ぎつて没落した。そして、下に、遙か下に、褪紅色の月が地平の上にさし上つた。私の肉体は、この二重の方向の交錯の中に、ぎしぎしと軋んだ。このとき、私は不幸であつた、限りなく不幸であつた。

 一つの闇が来た、それから、一つの明るみが来た。動物らは、潤つたおのおのの涙腺を持つて再生した。かれらは近寄つて来た。歩み、這ひ、飛び、跳り、巻き付き、呻き、叫び、歌つた。すべての動物が、かれらの野生的の書割を携へて復活した。出血する叢や、黄金の草いきれが、かれらの皮膚を浸した。これは、すさまじい伝説的性格の饗宴であつた。私はわれからとそれに参加した。そして、旧約人のやうにかれらを熱愛した。平生から私に近しかつた蛇が、やはり一ばん私に親密であつた。かれは、その角膜の上に、瑪瑙の嬌飾に満ちた悪意を含めて、近々と私の眼をさし覗いた。鷲は……

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