えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

ゆふべみた夢(Etude)
ゆうべみたゆめ(えちゅーど)
作品ID55495
著者富永 太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「富永太郎詩集」 現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年7月10日
入力者村松洋一
校正者川山隆
公開 / 更新2014-04-28 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より


 花の散つてゐる街中の桜並木を通つてゐた。灯ともし頃であつた。妙な佗しさに追ひ立てられるやうな気持で、足早に歩いてゐたやうだつた。
 道の左手に明るいカフエが口を開いてゐた。入口に立つて覗くと、酒を飲んでしやべつてゐる群の中に知つた顔が二三人見えた。あまり会ひたくもない人たちだつたので、僕はしばらくそこに立つたまゝでゐた。
 そのとき奥の勘定台のわきの壁に倚りかゝつてゐるNが眼に入つた。中学のとき同級で、海軍兵学校に入つてゐるうちに肺炎か何かで死んだ男だ。むかふでも僕をみつけたものと見えて、むかしした通りに、頑丈なからだを少し前のめりにし、新兵のやうに二の腕をぶらぶら振りながら、うれしさうにこつちへやつて来た。僕もへんにうきうきした気持になつて、いきなりその胸の厚いからだを抱きしめて額に接吻した……
 突然、予期しない不快な感覚を顔面に覚えて手を放してみると、Nの半面は、髪の毛から眼の下へかけて一面に褐色のどろどろした液体で被はれてゐる。しかしその液体の不快な触感を顔に感じてゐるものはたしかに僕である。夢の中ではこのことが少しも不自然ではなかつた。Nは僕の顔にその液体を吐きかけたのでもなければ、僕の口から出たその液体を吐きかけられたのでもないやうに、平静な顔に、うれしさうなうす笑ひを浮べてやつぱり僕をみつめてゐる。しかし僕はもう一度彼を抱きしめる気になれずに、ぼんやりそこに立つたまゝ、よごれた彼の顔を眺めてゐた。



えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko