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人生・文章習練の書
じんせい・ぶんしょうしゅうれんのしょ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「囘想 内田百間」 津輕書房
1975(昭和50)年8月31日
入力者磯貝まこと
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-07-02 / 2016-06-23
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 百間の随筆を褒めるといふことは現今の常識だ。今更ほめるまでもないことであるが、その褒める仲間に馳せ参ずることをむろん躊躇するものではない。一体僕は悪い癖があつて、人がほめたり、又本であれば売れるといふものを、ただそれだけの理由で蔑視して了ふのである。悪い癖だがどうもなほらない。そこで百間、出版界に随筆時代を到来させた百間なるものをむろん読まうとは思はなかつたのだつた。たとひ旧友室生犀星が口を極めて褒めやうとも、よまうとは思はなかつた。がある雑誌で、偶然よんで、成程と思はないわけにゆかなかつた。やはり世評といふものは、ろくでもないものにも感ずるが、いいものにも敏感なものだといふことを感じさせられたのである。
 百間氏の文章は、よけいなものをすつかりとつて了つた精髄的なものである。従来随筆といへば美文の標本みたいなものであることが慣はしであつたが、百間出でて之を更改して了つたといつていい。淡々として説き去るその文は併し凡庸の言ではない。つきすすめた心境にあつてのみ言はるべき際涯のものであることその文の虚飾を去つたるが如きである。まへに僕の「書窓」に百間お伽噺集「王様の背中」紹介辞に、虚無的肯定といふ変な字を用ひたが、之をいま改めやうとは思はない。謂ふ意味は、すべてを非定しつつ又新らしくそれを肯定するといふやうな捨身で積極的な心意である。百間随筆をよむと、どうしても僕はそうしたものを感ずる。人生の悲痛に徹した後の心であると思ふ。ほんとうの大人の文章であると思ふし、同時に「大人」に毒されない人間の素地の心だと思ふ。率直にしかも所謂淡々でなしに、淡々と語るこの文章の味は容易に出来るものではない。そしてこの様風は新らしい文章の指向を示し、又大勢を導いた。詩家によつて錬磨されつつある新らしい字句の使用法と共に、この簡明直截な文章法は将来発展してゆくに違ひない。此の百間随筆がいま私の尊敬する所の出版者によつて纏められるといふことは何よりの喜びだ。これは凡そ文章に心ある人、いやそればかりでなく人生習練の心をもつ人の誰もが読むべきものだと思ふのである。



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