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末野女
すえのめ
作品ID55614
著者室生 犀星
文字遣い旧字旧仮名
底本 「はるあはれ」 中央公論社
1962(昭和37)年2月15日
初出「小説新潮」新潮社、1960(昭和35)年9月1日
入力者磯貝まこと
校正者岡村和彦
公開 / 更新2014-09-17 / 2014-09-15
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一人の吃りの男に、道順を尋ねる二人づれの男がゐて、道すぢのことで、三人が烈しく吃り合ひながら、あちらの道を曲るのだとか、こちらの小路からはいつて行くのだとか言つて、ちんぷん、かんぷん言葉が亂れて譯が判らなくなつて了つた。吃りといふものは頭で吃るからだ。吃る人間は燃える發音を消しとめることが出來ない、日劇ミュージクホールの[#挿絵]話劇がいま三人の吃りの男が、自分で放けた火を消しとめることで、叫び合つて、そそ、それから、どど、どうして道をまがるんだと遣り返し合つてゐた。
「出ませう、とても、ぢつとしてゐられないわ。」
「君の吃りはあれほど甚い吃りではないんだよ、いま此處に這入つたばかりぢやないか、一たん吃ると急きこむから一層吃りの上に、吃りが重なり合ふんだ。吃る人間は吃らない人間と何時も二人づれにからみ合つてゐるから吃るんだ。吃る時は落ちついて吃るはうがいいんだ。さうやつてゐる君は少しも吃らないでゐられるぢやないか。吃る人間を見物してゐるから君の吃りが三人の男の發音にまぎれ込んでゐる、つまり、これほど君がらくにゐられる事は稀れなのだ。」
「あなたは何時もあたしが吃ると、愉しさうにくすくすなさいます。けれども、あの人達を見てゐるとあたしもここで吃りの復習をしてゐなければならないんです。あの人達の手眞似、足眞似があたしをあそこまで連れてゆかない前に、もうずつと先刻から吃るお稽古をしてゐて、頭は蒼褪め、脇の下に冷たいあせりが汗になつてにじんでまゐります。吃るくせのある人間が吃りのおしばゐを見てゐることは、笑ひながら自分で自分の解決のつかないところにゐるのと同じなんです。」
「君がそんなにすらすらと話すのを聽いてゐると、まるで吃りがおこりのやうに落ちてゐるやうだ。それにしてもあの俳優は二た月六十日間、ああして毎日吃り續けてゐるのだらうか、吃りといふものは眞似をしてゐる間に本物になる經驗は僕にもあつたが、あの俳優はああしてゐる間に尠くとも、二か月間はふだんの時間のあひだでも少々吃るといふことになりはしないか、あの激しい肩の怒りや手振りの焦り切つたところは、演技中だけであとはけろりと治つてしまふといふことはあるまい。吃りがいとを引いてあの俳優のまはりにふはついてゐる。併しなんといふ吃りといふものは息苦しいものだ。」
「幾らでも吃り續けてゐればいいわ。あなたが面白かつたらどうにもならない程、お笑ひになるがいい、勢ひこむほど舌と喉が蓋をされたやうに言葉が出て來ない、頭は燃えて來てからだぢゆうが熱くなる。いまになつて息苦しいなんて仰言るが、それが面白くてかうして何時までも見ていらつしやるんぢやないの。出ませうと言つてもうんと言つて可笑しがつていらつしやる。平常、あなたはあたしが吃ると不意に面白い物を見つけたやうにくすつと笑つて、それをあたしの綺倆のうちの一つにかぞへてゐて吃ら…

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