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巷の子
ちまたのこ
作品ID55615
著者室生 犀星
文字遣い旧字旧仮名
底本 「はるあはれ」 中央公論社
1962(昭和37)年2月15日
初出「新潮」新潮社、1960(昭和35)年7月1日
入力者磯貝まこと
校正者岡村和彦
公開 / 更新2014-09-20 / 2014-09-15
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 西洋封筒の手紙が一通他の郵便物に混じりこんでゐて、開いて見ると、わたくしはあなたのお作品が好きで大概の物は逃がさずに讀んでゐるが、好きといふことは作者の文章のくせのやうなものに、親身な知己を感じてゐるものらしく、そのくせのやうな所に讀んでまゐりますと、まるめこまれる自分の心の有樣がよく解りまして、そこで讀んでゆく速度をおさへてゐる間が大變に愉しうございます。先をいそいで讀まうとしながら故意とじらせるやうに、少しづつ頁を返してゆくうちあなた樣に手紙を書かなければならないといふ氣が、本の内容の面白さと一しよに連れられて固い決心をさせてまゐりました。わたくしは永い間バーといふものを經營してゐて、いまもお店のかんとくをしながら毎晩皆さんのおつきあひで、亂次のない毎日をおくつてゐる者でございます。だから、晝間はこんなにきちんとしたお手紙が書きたくなるのでせうか。或いはごぞんじかとも思ひますが、至つて小さな帽子を裏返しにしたやうな銀座の裏町に、澤山にあるバーのその一軒なんですけれど、女が一人でくらしてゆくには充分でございます。
 この手紙の住所は品川區になつてゐて、住所は明記してあるがバーの所在がわざと書いてなかつた。手紙の筆蹟も上の方であり年齡三十七八、恐らく相當の美貌を持ち、心にも物質にも餘裕があつて作家には初めて手紙を書いて送つたといふこと、バーの名前を書いてないことが禮儀を加味してあることで、無難であつた。大抵、私は返事をかかなければならない場合、女の人には一さい封書はつかはない、誰が讀んでもよいやうに葉書に認めてゐるのである。この返事には即吟一句を書いて送つた。「草摘む子ところも言はで去りにけり」
 また手紙が來てお店の住所がきもお知らせしたいのですけれど、いまはその時期でないやうな氣もいたしますゆゑお許し下さいと記し、お店にゐるわたくし自身をあなたにお見せしたくないし、わたくしもお店でおあひしたいとは思ひません、若しお許しがあれば品川の家からはお宅へは近いやうに思はれますからお訪ねいたしたいと、書いてあつた。品川にも家を一軒持つてゐる點からうかうかした返事も送れないと、例の俳句をむだがきにして置いた。「摘草の子には來るなといひにけり」こんなにはつきり言はなくともよかつたが、俳句も書いて了つては直すわけにゆかない、一度も會つたことのない人が來るのは窮屈である。それが美女でなければ困るが、美女であつてもなほ始末に困るといふ氣持で、さらにもう一句いくらか「くるな」といふ言葉をなだめて慊すやうに書いた。「摘草のうたごゑ土手もはるかかな」この返事にはお歌にあるやうでは、お訪ねしてわるいやうにも思はれ、お訪ねしないことにいたしました。ただ讀んでさへ居ればよい筈なのに讀者といふ者は、時には作家にあひたい氣のするものでございますと書き、俳句のことをお歌と書いてあるのも、俳…

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