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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題032 路地の足跡
032 ろじのあしあと
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十三卷 焔の舞」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年9月5日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1934(昭和9)年9月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-06-13 / 2014-09-16
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「錢形の親分さん、お助けを願ひます」
 柳原土手、子分の八五郎と二人、無駄を言ひながら家路を急ぐ平次の袖へ、いきなり飛付いた者があります。
「何だ/\」
 後から差覗くガラツ八。
「何處か斬られなかつたでせうか、いきなり後ろからバサリとやられましたが――」
 遠灯に透せば、二十七八の、藝人とも、若い宗匠とも見える一風變つた人物。後向になると、絽の羽織は肩胛骨のあたりから、帶の結びつ玉のあたりへかけて、眞一文字に斬り下げられ、大きく開いた口の中から、これも少し裂かれた單衣が見えるのでした。
「大丈夫、紙一枚といふところで助かつたよ。ひどいことをする奴があるものだね。辻斬にしちや不手際だが――」
 平次はさすがに、斬口の曲つた工合から、刄先の狂ひを見て取りました。
「辻斬なら仔細は御座いませんが、――この間から、時々こんなことがありますので、油斷がなりません」
 男は眞夏の夜のねつとり汗ばむ陽氣にも拘はらず、ぞつとした樣子で肩を顫はせました。町の灯の方へ向くと、青白い弱々しい顏立ちで、色戀の沙汰でもなければ、命を狙はれさうな柄ではありません。
「そいつは物騷だ。命を狙はれちや、いゝ心持のものぢやあるめえ。――送つて行つてあげよう。お前さんの家は何處だえ」
「横山町まで參ります」
「横山町?」
「遠州屋の者で」
「遠州屋は大分限だが――店の者にしちや」
 平次は頸を捻りました。絽の羽織、博多の帶、越後上布の單衣、――どう見ても丁稚や手代の風俗ではありませんが、仔細あつて、横山町の遠州屋の主人はツイ先頃非業の死を途げ、跡取りはまだほんの子供だといふ話を聞いて居たのでした。
「甥の金之丞と申します」
「それぢや、能役者をしてゐた好い男てえのはお前さんかい」
 ガラツ八の八五郎は、ツケツケしたことを言つて、金之丞と名乘る男の顏を差しのぞきました。
「お耻かしいことで御座います」
「耻かしがることはねえが、命なんか狙はれるやうぢや、好い男に生れつくのも考へ物だね」
 と八五郎。
「安心しろよ。手前なんかは、生れ變つたつて、財布や命の狙はれつこはねえ」
 平次はツイ口を容れました。金之丞の恐れ入つた調子と、それに對照して、八五郎のトボケた調子が、たまらなく平次の好謔心を嗾つたのでせう。
「お蔭樣でね」
「怒るなよ、八。その方が無事でいゝぜ」
 平次は尚も追及しました。
「全くで御座います、親分さん。命を狙はれるのが、こんなにイヤなものとは、思つても見ませんでした。二階から突轉がされたり、知らない人から喧嘩を吹かけられたり、食物へ石見銀山が入つてゐたり、――」
「そんな物騷な身體を、なんだつて亥刻過ぎの柳原なんか持つて歩くんだ」
 平次の調子は少し腹立たしさうでした。辻斬りと夜鷹の跳梁する柳原を、眞面目な人間が通るにしては、全く遲過ぎました。
「いやなことばかり御座いま…

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