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暁月夜
あけづきよ
作品ID55659
著者樋口 一葉
文字遣い旧字旧仮名
底本 「都の花 第百一號」 金港堂
1893(明治26)年2月19日
初出「都の花 第百一號」金港堂、1893(明治26)年2月19日
入力者万波通彦
校正者Juki
公開 / 更新2013-09-06 / 2014-09-16
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

第一回
櫻の花に梅が香とめて柳の枝にさく姿と、聞くばかりも床しきを心にくき獨りずみの噂、たつ名みやび男の心を動かして、山の井のみづに浮岩るヽ戀もありけり、花櫻香山家ときこえしは門表の從三位よむまでもなく、同族中に其人ありと知られて、行く水のながれ清き江戸川の西べりに、和洋の家づくり美は極めねど、行く人の足を止むる庭木のさまざま、翠色したヽる松にまじりて紅葉のあるお邸と問へば、中の橋のはし板とヾろくばかり、扨も人の知るは夫のみならで、一重と呼ばるヽ令孃の美色、姉に妹に數多き同胞をこして肩ぬひ揚げの幼なだちより、いで若紫ゆく末はと寄する心の人々も多かりしが、空しく二八の春もすぎて今歳廿のいたづら臥、何ごとぞ飽くまで優しき孝行のこヽろに似す、父君母君が苦勞の種の嫁いりの相談かけ給ふごとに、我まヽながら私し一生ひとり住みの願ひあり、仰せに背くは罪ふかけれど、是ればかりはと子細もなく、千扁一律いやいやを徹して、はては世上に忌はしき名を謠はれながら、狹き乙名の氣にもかけず、更けゆく歳を惜しみもせず、靜かに月花をたのしんで、態とにあらねど浮世の風に近づかねば、慈善會に袖ひかれたき願ひも叶はず、園遊會に物いひなれん頼みもなくて、いとヾ高嶺の花ごヽろに苦るしむ人多しと聞きしが、牛込ちかくに下宿住居する森野敏とよぶ文學書生、いかなる風や誘ひけん、果放なき便りに令孃のうはさ耳にして、可笑しき奴と笑つて聞きしが、その獨栖の理由、我れ人ともに分らぬ處何ゆゑか探りたく、何ともして其女一目見たし、否見たしでは無く見てくれん、世は冠せ物の滅金をも、秘佛と唱へて御戸帳の奧ぶかに信を増さするならひ、朝日かげ玉だれの小簾の外には耻かヾやかしく、娘とも言はれぬ愚物などにて、慈悲ぶかき親の勿体をつけたる拵へ言かも知れず、夫れに乘りて床しがるは、雪の後朝の末つむ花に見參まへの心なるべし、扨も笑止とけなしながら心にかヽれば、何時も門前を通る時は夫れとなく見かへりて、見ることも有れかしと待ちしが、時はあるもの飯田町の學校より歸りがけ、日暮れ前の川岸づたひを淋しく來れば、うしろより、掛け聲いさましく駈け拔けし車のぬしは令孃なりけり、何處の歸りか高髷おとなしやかに、白粉にはあるまじき色の白さ、衣類は何か見とむる間もなけれど、黒ちりめんの羽織にさらさらとせし高尚き姿、もしやと敏われ知らず馳せ出せば、扨こそ引こむ彼の門内、車の輪の何にふれてか、がたりと音して一ゆり搖れヽば、するり落かヽる後ろざしの金簪を、令孃は纎手に受けとめ給ふ途端、夕風さつと其袂を吹きあぐれば、飜がへる八つ口ひらひらと洩れて散る物ありけり、夫れと知らねば車は其まヽ玄關にいそぐを、敏何ものとも知らず遽しく拾ひて、懷中におし入れしまヽ跡も見ずに歸りぬ。
乘り入れし車は確かに香山家の物なりとは、車夫が被布の縫にも知れたり、十七八と見えしは美くしさの故…

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