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別れ霜
わかれじも
作品ID55665
著者樋口 一葉
文字遣い旧字旧仮名
底本 「樋口一葉全集第一卷」 新世社
1942(昭和17)年1月30日
初出「改進新聞」1892(明治25)年3月31日~4月10日、4月12日、14日~17日
入力者万波通彦
校正者岡村和彦
公開 / 更新2014-11-20 / 2014-10-26
長さの目安約 44 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

第一囘

 莊子が蝶の夢といふ世に義理や誠は邪魔くさし覺め際まではと引しむる利慾の心の秤には黄金といふ字に重りつきて増す寶なき子寶のうへも忘るゝ小利大損いまに初めぬ覆車のそしりも我が梶棒には心もつかず握つて放さぬ熊鷹主義に理窟はいつも筋違なる内神田連雀町とかや、友囀りの喧しきならで客足しげき呉服店あり、賣れ口よければ仕入あたらしく新田と呼ぶ苗字そのまゝ暖簾にそめて帳場格子にやに下るあるじの運平不惑といふ四十男赤ら顏にして骨たくましきは薄醤油の鱚鰈に育ちて世のせち辛さなめ試みぬ附け渡りの旦那株とは覺えざりけり、妻はいつ頃なくなりけん、形見に娘只一人親に似ぬを鬼子とよべど鳶が産んだるおたかとて今年二八のつぼみの花色ゆたかにして匂濃やかに天晴れ當代の小町衣通ひめと世間に出さぬも道理か荒き風に當りもせばあの柳腰なにとせんと仇口にさへ噂し連れて五十稻荷の縁日に後姿のみも拜し得たる若ものは榮譽幸福上やあらん卒業試驗の優等證は何のものかは國曾議員の椅子にならべて生涯の希望の一つに數へいるゝ學生もありけり、さればこそ一たび見たるは先づ驚かれ再び見たるは頭やましく駿河臺の杏雲堂に其頃腦病患者の多かりしこと一つに此娘が原因とは商人のする掛直なるべけれど兎に角其美は爭はれず、姿形のうるはしきのみならで心ざまのやさしさ情の深さ絲竹の道に長けたる上に手は瀧本の流れを吸みてはしり書うるはしく四書五經の角々しきはわざとさけて伊勢源氏のなつかしきやまと文明暮文机のほとりを離さず、さればとて香爐峯の雪に簾をまくの才女めきたる行ひはいさゝかも無く深窓の春深くこもりて針仕事に女性の本分を盡す心懸け誠に殊勝なりき、家に居て孝順なるは出て必らず貞節なりとか、これが所夫と仰がれぬべく定まりたるは天下の果報の一人じめ前生の功徳いか許り積みたるにかと世にも人にも羨まるゝはさしなみの隣町に同商中の老舖と知られし松澤儀右衞門が一人息子に芳之助と呼ばるゝ優男、契りは深き祖先の縁に引かれて樫の實の一人子同志、いひなづけの約成立しはお高がみどりの振分髮をお煙草盆にゆひ初むる頃なりしとか、さりとては長かりし年月、ことしは芳之助もはや廿歳今一兩年經たる上は公に夫とよび妻と呼ばるゝ身ぞと想へば嬉しさに胸をどりて友達の嬲ごとも恥かしく、わざと知らず顏つくりながらも潮す紅の我しらず掩ふ袖屏風にいとゞ心のうちあらはれて今更泣きたる事もあり人みぬひまの手習に松澤たかとかいて見て又塗隱すあどけなさ利發に見えても未通女氣[#「未通女氣」は底本では「末通女氣」]なり同じ心の芳之助も射る矢の如しと口にはいへど待つ歳月はわが爲に弦たゆみしやうに覺えて明かし暮らす程のまどろかしさよ、高殿に見る月の夕影を分つはいつぞとしのび、花の下ふむ露のあした双ぶる翅の胡蝶うらやましく用事にかこつけて折々の訪おとづれに餘所ながら見る花の面わが物ながら許され…

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