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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題075 巾着切の娘
075 きんちゃくきりのむすめ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十六卷 笑ひ茸」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年9月28日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1938(昭和13)年増刊号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-02-13 / 2014-09-16
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「あツ危ねえ」
 錢形の平次は辛くも間に合ひました。夜櫻見物の歸りも絶えた、兩國橋の中ほど、若い二人の袂を取つて引戻したのは、本當に精一杯の仕事だつたのです。
「どうぞお見逃しを願ひます」
「どつこい待ちな、――そんな身投げの極り文句なんか、素直に聞いちや居られねえ」
「死ななきやならないわけがございます。どうぞ、親分」
 爭ふ二人、平次は叩きのめすやうに、橋の欄干に押付けました。
「頼むから靜かにしてくれ。俺は横山町から驅け付けたんだ。息が切れて叶はねえ、――意見をするのが面倒臭くなると、二人を縛つて欄干に晒し物にする氣になるかも知れないぜ」
「親分さん」
「解つたよ。三百八十兩の大金を巾着切にやられて、主人への申譯、言ひ交した女と一緒に、ドブンとやらかさうといふ筋だらう」
「えツ」
「お前は、増屋の養子徳之助、――此方はお富といふんだつてね」
「さう言ふ親分さんは?」
「神田の平次だ」
「あツ、錢形の――」
 徳之助とお富は、死ぬ筈の身を忘れて、町の家並に傾く櫻月の薄明りの中に、江戸第一番の御用聞と言はれた平次の顏を見直しました。
「横山町の店からの使ひで飛んで行つて見ると、――一度店へ歸つたお前が、お富と牒し合せて飛出したといふ騷ぎの眞つ最中だ。いづれは心中ものだらうと思つたが、永代へ行つたか兩國へ行つたか、それとも向島へ遠走りをしたか見當がつかねえ、――兎も角、近間の兩國へ驅け付けて、幸ひ間に合つたからいゝやうなものの、これが永代へでも伸された日にや、今頃は三途の川で夜櫻を眺めて居るぜ、危ねえ話だ」
 さう言ふ平次の言葉を聞いて、
「――」
 二人はゾツと襟をかき合せました。助けられた今になつて見ると、三途の川の夜櫻が、あまり氣味のいゝものではなかつたのです。
「さア行かうぜ。――店ぢや皆さんも大心配だ。わけても増屋の旦那は、三百八十兩のことも忘れて、徳之助に若しもの事がなけりやいゝが――と居たり起つたり、神棚に燈明をあげたり、見るも氣の毒な程の氣の揉みやうだ」
「申譯もございません、――でも、私は此儘店へ歸つては濟まないことがございます」
「はてネ」
 月明りの僅かに殘る欄干に凭れたまゝ、徳之助は苦悶に打ちひしがれて、濡れでもしたやうに、しよんぼりと語り續けました。
 十三の年、親を喪つた徳之助は、遠縁の増屋に引取られて、養子分で二十一まで働きましたが、増屋の主人三右衞門の慈愛が深まるにつれて、朋輩の嫉妬が激しく、三百八十兩の大金を失つても、主人の三右衞門は許してくれるでせうが、番頭手代は、決して腹の中では、許してくれないだらうと――かう言ふのです。
 その上、今日まで内證にして居た、お富との仲が、この心中騷ぎで一ぺんに知れたら、他の奉公人の手前、主人の三右衞門も、素直に許してはくれないかも解らず、いづれにしても、二人揃つて増屋の敷居を跨ぐの…

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