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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID55682
副題002 振袖源太
002 ふりそでげんた
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十六卷 笑ひ茸」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年9月28日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1931(昭和6)年5月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-02-22 / 2014-12-28
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 兩國に小屋を掛けて、江戸開府以來最初の輕業といふものを見せた振袖源太。前髮立の素晴らしい美貌と、水際立つた鮮やかな藝當に、すつかり江戸ツ子の人氣を掴んでしまひました。
 あまりの評判に釣られるともなく、半日の春を小屋の中の空氣に浸つた、捕物の名人で『錢形』と異名を取つた御用聞きの平次。夕景から界隈の小料理屋で一杯引つかけて、兩國橋の上にかゝつたのはもう宵の口。
 小唄か何か口吟み乍ら、十六夜の月明りにすかして、何の氣もなくヒヨイと見ると、十間ばかり先に、欄干へ片足を掛けて、川へ飛込まうとして居る人間があります。
「あツ」
 と言つたが、驅け付けるには少し遠く、大きな聲を出せば、直ぐ飛び込まれるに決つて居ります。
 思はず袖へ手が入ると、今しがた剩錢にとつた永樂錢が一枚、右手の食指と拇指の間に立てゝ、ろくに狙ひも定めずピユウと投げると、手練は恐ろしいもので、身を投げようとする男の横鬢をハツと打ちます。
「あツ、何をするんだ」
 思はず飛込みさうにした欄干の足を引込めて、側へ飛んで來た平次に、噛みつきさうな顏を見せます。
「お、危ねえ。俺は河童の眞似は得手ぢやねえから、飛込まれたら最後見殺しにしなきアならねえ」
 さう言ひ乍ら、冗談らしく相手の袖を押へた平次。咄嗟の間に見極めると、年の頃五十六七、實體らしい老爺さんで、どう間違つても身投などをする柄とは見られません。
「無法な事をするにも程があつたものだ。こんなに脹れちやつたぢやないか、見ろ」
 老爺は身投することも忘れて、しきりにこめかみに唾を附け乍ら、小言を言つて居ります。
「勘辨しねえな、とつつあん。さうでもしなきやア、間に合はなかつたんだ。命と釣替へなら、こめかみへ穴が明いたつて我慢が出來ねえこともあるめえ」
「不法な人があつたものだね、どうも」
 老爺さん甚だ平かぢやありませんが、永樂錢一枚の痛手で、兎に角死ぬ氣がなくなつてしまつたことだけは事實のやうです。
 間もなく平次は、もう一度東兩國の小料理屋に取つて返して、身投を思ひ止らせた老爺の話を聞いて居りました。
「人間、洒落や冗談に死ねるものぢやねえ、ざつくばらんに話して見なさるがいゝ。金も智惠もあるわけぢやねえが、何を隱さう、俺は平次と言つてお上の御用を勤める人間だ。次第に依つちや相談相手にならねえものでもあるめえ」
「え? 錢形の親分さんで御座いましたか。これはいゝ方に助けて頂きました。斯うなればもう、嫌だと仰しやつても申し上げずには居られません。どうか、終末まで皆んなお聞きなすつて下さいまし」
 世にも奇怪な話が、老爺の朴訥な調子で斯う描き出されて行きます。



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