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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID55686
副題091 笑い茸
091 わらいだけ
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十六卷 笑ひ茸」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年9月28日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1939(昭和14)年8月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-02-10 / 2014-09-16
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 伽羅大盡磯屋貫兵衞の凉み船は、隅田川を漕ぎ上つて、白鬚の少し上、川幅の廣いところを選つて、中流に碇をおろしました。わざと氣取つた小型の屋形船の中は、念入りに酒が廻つて、この時もうハチ切れさうな騷ぎです。
「さア、皆んな見てくれ、こいつは七平の一世一代だ――おりん姐さん、鳴物を頼むぜ」
 笑ひ上戸の七平は、尻を端折ると、手拭をすつとこ冠りに四十男の恥も外聞もなく踊り狂ふのでした。
 取卷の清五郎は、藝者のお袖を相手に、引つきりなしに拳を打つて居りました。貫兵衞の義弟で一番若い菊次郎は、それを面白いやうな苦々しいやうな、形容のしやうのない顏をして眺めて居ります。
 伽羅大盡の貫兵衞は、薄菊石の醜い顏を歪めて、腹の底から一座の空氣を享樂して居る樣子でした。三十五といふ、脂の乘り切つた男盛りを、親讓りの金があり過ぎて、呉服太物問屋の商賣にも身が入らず、取卷末社を引つれて、江戸中の盛り場を、この十年間飽きもせずに押し廻つて居る典型的なお大盡です。
「卯八、あの酒を持つて來い」
 大盡の貫兵衞が手を擧げると、
「へエ――」
 爺やの卯八――その夜のお燗番――は、その頃は飛切り珍しかつたギヤーマンの徳利を捧げて艫から現はれました。
「さて皆の衆、聽いてくれ」
 貫兵衞は徳利を爺やから受取つて、物々しく見榮を切ります。
「やんや/\、お大盡のお言葉だ。皆んな靜かにせい」
 清五郎は眞つ赤な顏を擧げて、七平の踊とおりんの三味線を止めました。
「この中には、和蘭渡の赤酒がある。ほんの少しばかりだが、その味の良さといふものは、本當にこれこそ天の美祿といふものだらう。ほんの一杯づつだが、皆んなにわけて進ぜ度い。さア、年頭の七平から」
 貫兵衞はさう言ひ乍ら、同じギヤーマンの腰高盃を取つて、取卷の七平に差すのでした。
「有難いツ、伽羅大盡の果報にあやかつてそれでは頂戴仕るとしませうか、――おつと散ります、散ります」
 野幇間を家業のやうにして居る巴屋七平は、血のやうな赤酒を注がせて、少し光澤のよくなつた額を、ピタピタと叩くのです。
「次は清五郎」
 これは主人と同年輩の三十五六ですが、雜俳も、小唄も、嘘八百も、仕方噺も、音曲もいける天才的な道樂指南番で、七平に劣らず伽羅大盡に喰ひ下がつて居ります。
「へエ――オランダ渡りの葡萄の酒。話には聞いたが、呑むのは初めて――それでは頂戴いたします、へエ――」
 美しいお蔦にお酌をさせて、ビードロの盃になみ/\と注いだ赤酒。唇まで持つて行つて、フト下へ置きました。
「何うした、清五郎」
 少し不機嫌な聲で、貫兵衞はとがめます。
「いえ、少し氣になることが御座います」
「何んだ」
「あれを――氣が付きませんか、橋場のあたりでせう。闇の中に尾を引いて、人魄が飛びましたよ」
「あれツ」
 女三人は思はず悲鳴をあげました。
「おどかしてはいけな…

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