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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID55696
副題315 毒矢
315 どくや
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第三十三卷 花吹雪」 同光社
1954(昭和29)年10月15日
初出「キング」1954(昭和29)年1月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-01-22 / 2016-12-25
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「へツへツ、へツへツ、隨分間拔けな話ぢやありませんか」
 ガラツ八の八五郎が、たがが外れたやうに笑ひながら、明神下の平次の家に笑ひ込むのです。
 世間はまだ松が取れたばかり、屠蘇の香りがプンプンとして居やうといふ時ですから、笑ひながら來る分には、腹も立ちませんが、それにしても、かう不遠慮にやられては、御近所の衆が膽をつぶします。
「八の野郎がまた、ゲラゲラ笑ひながら舞ひ込んで來たやうだ。火鉢の中へ唐辛子でも燻して置け」
 平次は苦々しく舌打をしますが、實は久しく顏を見せなかつた八五郎を、心の中では待ち焦れてゐたのです。
「それには及びませんよ。――可笑しいの可笑しくねえの――つて、へツへツ」
「呆れた野郎だ。挨拶もせずに、笑つてやがる」
「相濟みません。尤も、元日早々御年始には來た筈で」
「挨拶は年に一度で濟む氣で居やがる。――何がそんなに可笑しいんだ。俺はもう、腹が立つて、腹が立つてたまらねえが」
「まだ正月だといふのに、何をそんなに腹を立てるんです。あつしはもう、面白くて可笑しくて」
「俺はまた癪にさはることばかりだよ。暮に拂へなかつた店賃を、三つまとめて大家のところへ持つて行くと、苦しいのはわかつてゐるから、そんな無理をするには及ばない、改めて盆にでも貰ふからと、そつくり返して來たぢやないか」
「へエ、それで腹が立つんですか、親分は」
「人を見くびるにも程があるよ。一人で腹を立てて居るところへ、八丁堀の笹野樣から、今年の正月は役向きの方が忙しくて、呼んで呑ませる折もなかつたから――と、屆けて下すつたのは、三升」
「へエ」
「縮尻つてばかり居る俺が、この酒が呑めるか呑めねえか考へて見ろ」
「そんなに癪にさはる酒なら、あつしが身代りに頂きますよ。三升もあると、ちよいと良いおしめりになりますね」
「舌嘗めずりをして居やがる。――その上あれを聽かないか、九月十五日の神田祭を待ち兼ねて、金があつて、暇で/\仕樣のない旦那衆が、界隈の若いのをおだてて、妻戀稻荷の後ろの大野屋を借り受け、初午の日に世直しの稻荷祭りの大騷ぎをやらかさうといふ企みだ」
「惡くねえ話ぢやありませんか。その話なら、あつしも掛り合ひがあるが」
「半月も前からの稽古で、夜も寢つかれやしない。飛んだ世直しだよ」
 平次が腹を立てるのも無理のないことでした。江戸の有閑人達は、景氣が良いにつけ惡いにつけ、お祭り騷ぎをして、呑む機會を作らなければ、この世の中は張合ひがないやうな氣がするのでせう。
「あつしが笑つたのは、そのお祭りに出る所作事の話ですよ」
「そんな話なら、可笑しくも何んともないぢやないか」
「親分は――その日の所作に、坂屋のお妙が、新作の『江口』を踊るといふ話を聽いたでせう」
「坂屋のお妙といふのは、あの女か」
「へエ、あの女で」
 この邊では、たゞあの女で通る坂屋のお妙は、妻戀稻荷…

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