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海の詩
うみのし
副題――人と海――
ひととうみ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
初出「文芸」1936(昭和11)年9月号
入力者村松洋一
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-03-26 / 2015-02-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 こころまゝなる人間は、いつでも海が好きなもの!
 これは、ボオドレエルの「人と海」といふ詩の、第一行である。海と聞くたびに、海を見るたびに、この歌を思ひ出すから、以下私は此の詩を辿り乍ら、「海の詩」といふ課題を果さう。然し何も、此の詩を解説しようといふのではない。此の詩を辿り乍ら、この稿を書いてゐる今、色々と心に浮ぶことを、何の反省をも加へずに、唯々書誌してみたいと思ふ。

 第一行を読んで、先づ見えて来るのは水平線である。とまれ渚よりも、沖の方が想ひ出される。然しこれを歌つてゐるのがボオドレエルだと思ふと、船の沢山ゐる港、それも余り大きくない港が見えて来たりする。どういふわけだか知らぬ。同じく海の出て来るボオドレエルの詩だつて、「信天翁」だと、広々として一物も見えぬ、秋も終りの海が見えて来る。
 それはさて、今よりも、子供の時分の方が、よつぽど海は好きだつたやうだから、してみると今よりも、あの頃の方が「こころまゝ」だつたのだらうか?
 つまらないことを思つてみたりするものだとは思ひ乍らも、なんだかこれはドキンと来る。

 第二行、第三行。海はなが身の鏡にて、はてなき浪の蕩揺に、汝はなが魂打眺む
 海は汝が身の鏡にて、と云はれるとなんだか罪でも犯した気持になる。それかあらぬか、猫の瞳孔が紋むやうに、海は急劇に曇つて来て、今にも時化でもやつて来さうだ。然しまあ、よく視よう、鏡なんだもの、と緊張を増すと同時に、急いで先が読みたくなくなる。
 はてなき浪の蕩揺に、汝はなが魂打眺む……「なーるほど…」と思ふのは、恐らくボオドレエルが私自身より意識的であることに気が付くからである。長の年月、海を見るたびに、おぼろに感じてゐたことが、急に明るみに出た感じ。

 第四行。さてなが魂もいやにがき、深淵ぞ
 さうに違ひない、海を見てると溜息が出る。然し茲でもボオドレエルは、意識的だ。
 扨、魂はにがい深淵だぞといふやうなことを我々日本人が云ふと、一寸そぐはない感じがしよう。なんだかこれは、ロマンチシズム開花する国で云ふにふさはしいことのやうだ。さういふと、外国人はたゞもう楽天的で、我々は唯もう渋い一天張りの国民のやうな気もするが、そんなことは、一朝にして決められることではない。

 第五、第六、第七、第八行。なれは喜ぶなが影の、すがたの海に跳び入りて、眼に腕にかい抱き、それな固有のざはめきに、なれがこゝろはなごむなり、抑へがたなきはた荒き、浪の歎きのかの響き
 もはや眺めてはゐられなくなつた、跳び込んで、眼に腕にかい抱き、それな固有のざわめきに、なれがこころはなごむのだ。抑へがたなきはた荒き、浪の歎きのかの響き。浪のうねりと白歯が見える。

 第九、十、十一、十二行。汝等ともに闇くして、且はひめやか。汝が底を探りたる、者とてはなく、汝がゆたけき内奥を、知るものとてなかりけり…

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