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雷門以北
かみなりもんいほく
作品ID55719
著者久保田 万太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「大東京繁昌記」 毎日新聞社
1999(平成11)年5月15日
初出「東京日日新聞」1927(昭和2)年6月30日~7月16日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2014-01-15 / 2014-09-16
長さの目安約 44 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

広小路(一)

 ……浅草で、お前の、最も親愛な、最も馴染のふかいところはどこだときかれれば広小路の近所とこたえる外はない。なぜならそこはわたしの生れ在所である。明治二十二年田原町で生れ、大正三年、二十六の十月までそこに住みつづけたわたしである。子供の時分みた風色ほど、山であれ河であれ、街であれ、やさしくつねに誰のまえにでも蘇生って来るものはない。――ことにそれが物ごころつくとからのわたしのような場合にあってはなおのことである。
 田原町、北田原町、東仲町、北東仲町、馬道一丁目。――両側のその、水々しい、それ/″\の店舗のまえに植わった柳は銀杏の若木に変った。人道と車道境界の細い溝は埋められた。(秋になるとその溝に黄ばんだ柳の葉のわびしく散りしいたものである)どこをみてももう紺の香の褪めた暖簾のかげはささない。書林浅倉屋の窓の下の大きな釜の天水桶もなくなれば鼈甲小間物松屋の軒さきの、櫛の画を描いた箱看板の目じるしもなくなった。源水横町の提灯やのまえに焼鳥の露店も見出せなければ、大風呂横町の、宿屋の角の空にそそる火の見梯子も見出せなくなった。――勿論、そこに、三十年はさておき、十年まえ、五年まえの面影をさえさし示す何ものもわたしは持たなくなった。「渋屋」は「ペイント塗工」に、「一ぜんめし」は「和洋食堂」に、「御膳しるこ」は「アイスクリーム、曹逹水[#「曹逹水」はママ]」におの/\その看板を塗りかえたいま――そういっても、カフェエ、バア、喫茶店の油断なく立並んだことよ――たま/\ひょうきんな洋傘屋あって赤い大きな目じるしのこうもり傘を屋上高くかかげたことが、うち晴れた空の下に、遠く雷門からこれを望見することが出来たといっても誰ももうそれを信じないであろう。しかくいまの広小路は「色彩」に埋もれている。強い濃い「光」と「影」との交錯を持っている。……ということは古く存在した料理店「松田」のあとにカフェエ・アメリカ(いま改めてオリエント)の出来たばかりの謂いではない。そうしてそこの給仕女たちの、赤、青、紫の幾組かに分たれている謂いでも勿論ない。前記書林浅倉屋の屋根のうえに「日本児童文庫」と「小学生全集」の尨大な広告を見出したとき、これも古い酒店さがみやの飾り窓に映画女優の写真の引伸しの飾られてあるのを見出したとき、そうして本願寺の、震災後まだかたちだけしかない裏門の「聖典講座」「日曜講演」の掲示に立交る「子供洋服講習会」の立札を見出したとき、わたしの感懐に背いていよ/\「時代」の潮さきに乗ろうとする古いその町々をはっきりわたしはわたしに感じた。――浅倉屋は、このごろその店舗の一部をさいて新刊書の小売をはじめたのである。さがみやもまたいままでの店舗を二つに仕切って「めりんすと銘仙」の見世を一方にはじめたのである。
 が、忘れ難い。――でも、矢っ張、わたしにはその町々がな…

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