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雪と花火余言
ゆきとはなびよげん
作品ID55753
副題東京景物詩改題に就て
とうきょうけいぶつしかいだいについて
著者北原 白秋
文字遣い新字旧仮名
底本 「白秋全集 3」 岩波書店
1985(昭和60)年5月7日
入力者岡村和彦
校正者フクポー
公開 / 更新2017-02-12 / 2017-01-12
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 東京景物詩は大正二年七月の版である。今回その第参版を上梓するに当り、書肆の乞ふがまゝに、新に当時の詩一章十二篇を増補して、「雪と花火」と改題改幀したのである。
 茲に収められた七章八十余篇の詩は、明治四十二年の二月(邪宗門出版当時)より大正二年の四月(朱欒廃刊迄)に至る、概ね四ヶ年間の制作であつて、恰度私の青春の花期に当つてゐる。その間に私は『邪宗門』『思ひ出』『桐の花』等の詩歌集を出し、また雑誌『スバル』に外部より声援し、又木下杢太郎、長田秀雄両君と都会趣味と異国情趣を基調とした雑誌『屋上庭園』を二冊発刊し、其後単独でも雑誌『朱欒』を一年有半続刊した。而して私の周囲の華やかさはまた格別であつた。石井柏亭、山本鼎、高村光太郎、木下杢太郎、長田秀雄、吉井勇等の諸君と、初めて“PAN”の盛宴を両国河畔に開いて以来、Younger generation の火の手はわかい感傷的な私達を愈狂気にした。私達は日となく夜となく置酒し、感激し、相皷舞しながら、又競つて詩作し、論議した。“PAN”の盛時を稍過ぎて私の『思ひ出』が出た。『思ひ出』は全く私の出世作であつた。之が為めに私はあらゆる世の賞讃と羨望とを受けた。光栄限りなき『思ひ出会』が開催され、主催者上田敏博士から涙を流して崇拝的讃辞を献げられた時に、哀な私は全く顛倒して、感謝の言葉すらもよう見つけ得ずにたゞ泣いた。かうして私は一躍して芸苑の寵児となつた。それから一年経たずの内に私は苦しい恋に堕ち、咒はれて、一時はこの世のどん底に迄恋人と墜落して行つた。幸に罪人たる汚名も着ず、事なく許されたけれども、その事実は因習的な世上の譏笑と指弾とを受くるに充分であつた。驕奢な詩人の生活から急転直下して、哀れな敗徳者として、私は同じ芸苑の仲間からも無理解な排擠を受けた。身にあまる以前の光栄が却て禍して人の痴嫉を受けたのである。私は忍べるだけは忍んだ、然し私自身も自然と周囲から離れて行つた。
 而して一旦別れ別れになつた私の最愛の女性が、その後曩の牢舎のくるしみから肺病といふ恐ろしい不治の病に罹つて、自暴自棄に身も霊も破りはてたのを見つけ出した時、私は飛んで行つて彼を救ひ出した。而して友に別れ、都門を離れ、地位も名聞も雑誌『朱欒』をも投げすてゝ、一つには彼女の病ひを療してやりたいため、一つには新らしい生活の道程に上るべく、彼女と私の一家とを挙げて、はるばると海をわたり、相州は三崎の浜辺に一時の住居を移したのである。
 恰度このわたましの夜、あれほど全盛を極めた饗宴、“PAN”も愈寂しい最後の杯を飲み干したさうである。私も全くひとりになつた。その時の寂しさ。私は涙を流して『東京景物詩』の巻末に左の数言を連ねてゐる。
『東京、東京、その名の何すれば、しかく哀しく美くしきや。われら今高華なる都会の喧騒より逃れて漸く田園の風光に就く、やさ…

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